2009年2月15日日曜日

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飛鳥「迎賓館」、瓦葺き門の遺構 国の威信みせるため?

2009年2月14日8時37分

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写真今回の発掘調査で瓦などが数多く見つかった石神遺跡=12日、奈良県明日香村、森井英二郎撮影

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 飛鳥時代の斉明天皇(在位655〜661年)の「迎賓館」とされる奈良県明日香村の石神(いしがみ)遺跡で、瓦ぶきの門とみられる遺構が出土した。奈良 文化財研究所が12日発表した。この時代の宮殿は通常、板ぶきや檜皮(ひわだ)ぶきで造られていた。奈文研は「外国の客らに見せるため、国の威信をかけて 見栄えをよくしたのではないか」とみている。

 遺跡の東端約480平方メートルを調査。南北に延びる掘っ立て柱塀(長さ約25メートル)や建物跡(南北5.4メートル、東西8.1メートル)、 瓦が大量に埋まった溝(長さ約16メートル、幅1.5メートル、深さ20センチ)などが見つかった。塀の東側は道路とみられるため、いずれも門の関連遺構 だった可能性が高いと判断。門は何度も造り替えた跡があり最終的に瓦ぶきになったらしい。一緒に出土した土器から時期は7世紀前半〜中ごろとみられる。

 宮殿に瓦が使われるのは694年の藤原宮(同県橿原市)が最初とされる。寺を除くと、その50年近く前の瓦ぶき建物は極めて異例。石神遺跡中央部 でも瓦ぶき建物は見つかっていない。奈文研の松村恵司・都城発掘調査部長は「門の前には飛鳥の中心部へつながる重要な道路があったと考えられ外観を重視し たのではないか」と話す。

 一方、猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は、655年に斉明天皇が、石神遺跡近くとされる「小墾田(おはりだ)」に瓦ぶきの宮殿を造ろうとしたが失敗した、という日本書紀の記述を重視。「斉明天皇の宮殿の一部だった可能性もある」と話している。

 石神遺跡は、地方の有力者や外国使節らを招いた施設とされ、これまでに宮殿風の建物遺構や、噴水装置を持った石造物などが出土している。現地説明会は14日午後1時半から。小雨決行。



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