日本人の心と技 祖国に——第1部〈最大勢力〉
ユニクロ中国総経理の潘寧氏
「我が社の頭脳」と信頼を寄せる鳥山代五郎・設計担当顧問(左)と打ち合わせをする張春華さん=茨城県利根町のタナベインターナショナル、林写す
新サービスについて、テレビ会議で中国のスタッフと話すアリババ日本法人の社員。日本語と中国語が入り交じる=東京都中央区、高山顕治撮影
アリババの孫炯氏
■接客力生かし中国にユニクロ33店舗
春節(旧正月)を間近に控えた1月中旬。カジュアル衣料店「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの中国現地法人トップ、潘寧(パンニン)総経理(40)は、1週間で北京と寧波、広州を飛び回り、三つの新店舗を立ち上げた。
現地スタッフに伝えたのは「目を見てあいさつしろ。同じ笑顔でも、客に届く笑顔とそうでない笑顔がある」。自らが東京・三鷹のパチンコ店で学んだ接客の原点だ。
87年、日本に留学した。最初に覚えた日本語は、アルバイト先で言われ続けた「だめ!」だった。
「腕を組んでちゃだめだ」「だめ。お客さんより先にドアを開けろ」。敬語の使い方、姿勢、笑顔のつくり方までいちいち注意された。反発しながら耐えたのは、その「きまじめさ」の中に日本の経済成長の理由があると信じたからだ。
修士課程を終え、95年に入社。東京・町田の店舗でバイト仕込みの接客力を発揮し、半年で店長に昇格した。「サービスの基本は、パチンコも洋服も一緒だ」と潘さんは言う。
入社1年後から、中国ビジネスに携わる。中国工場の指導担当を経て、02年、上海に中国1号店を立ち上げた。
当初は「大衆のブランド」を掲げ、日本より安い商品を仕掛けた。だが、街にはユニクロの半額以下の服があふれていた。売り上げ不振から値下げに走り、さらに売り上げが減る。悪循環が続いた。
転機は06年にやってきた。ブランド志向の強い富裕層がロゴ入り製品を避け始めたことに、潘さんは気づく。「消費者は、個性と上品さを求めている」。市 場の成熟が想像以上に早い。日本と同じビジネスが通用すると判断し、日本の店舗の品ぞろえと値段、内装、接客サービスをそのまま持ち込んだ。
翌年、中国事業は黒字に転換。店舗数は現在、香港を含め33に増え、海外部門を支える柱に育った。国内市場が縮む中、海外展開を急ぐファーストリテイリ ングは、中国で「5年以内に100店」を掲げる。07年から、日本で暮らす外国人の採用を本格化。中国人留学生を中心に毎年約20人を採用している。
グローバルコミュニケーションチームの青野光展マネジャーは、潘さんについて「中国にユニクロの遺伝子を植え付けた。日中両国での『消費者』の経験がものを言った」と評価する。
日本企業を背負って、中国に打って出る。中国が求める価値を、日本の中に見いだす。日中の経済が溶け合う接点に、在日華人の姿がある。
■企業再建へ 職人の腕信じ、販路拡大
茨城県利根町の老舗(しにせ)機械メーカー、タナベ。2年前、9億円の負債を抱え、民事再生法の適用を申請した。再建を担う経営者としてやって来た張春華(ちょう・しゅんか)さん(44)は、着任から3カ月間、一人で社屋や工場の掃除を続けた。
タナベは段ボールの板紙を箱にする機械の専門メーカー。様々な形の箱に対応する設計力と製品の精度に定評があった。張さんは企業再建の実績を見込まれ、日本の投資ファンドから送り込まれた。
当初、社員にあいさつしても無視された。昼間から酒を飲む社員もいた。技術を奪って使い捨てにするつもりか。そんな冷ややかな視線を感じた。それ でも、掃除を続ける張さんに「手伝います」と声をかけてくる社員が出てきた。ほこりにまみれていた工場が徐々に動き出し、新生「タナベインターナショナ ル」として息を吹き返した。
張さんは中国大手の総合電機メーカー、上海電気の日本法人トップの肩書も持つ。上海電気が8年前、日本の印刷機メーカー、アキヤマ印刷機製造を買 収した時、再建の前線に立った。タナベと同じ冷たい空気の中、「日本人に心を開いてもらうには黙って体を動かすこと」と悟った。
会社再建はきれいごとでは進まない。約50人いたタナベの従業員は、自主退社を含め10人ほど減らした。一方で、上海電気との関係を生かし、今年から中 国での販売を本格化する。中国製はタナベ製品の半額。現地生産を進言する社員もいるが、張さんは「中国ですぐに製品化できるような技術に、本当の値打ちは ない」と国内生産にこだわる。
日本の技術のすそ野を支えるのは、材料や部品などの周辺産業や、消費者の厳しい目だとの思いがある。そして技術者。「日本の技術は図面の上でなく、職人の頭と腕の中にある」と張さんは言う。
「日本人は主張して利益を守るのが苦手。日本の良さを守って、弱い所を補うのが僕の仕事だと思っている」
ものをつくる職人への敬意と経営者の冷厳な目が、5年前に日本国籍を取得した華人の中で同居する。
■中小企業は「宝」 ネットで製品紹介
中国の電子商取引最大手アリババ・グループの日本法人は1月、ネットを通して日本の中小企業の製品を中国に紹介する新サービスを始めた。買い手の 中国企業を募集した昨年12月、東京のオフィスがどよめいた。初日だけで応募が5千件を超え、10日で1万7千社に。混乱を避けるため、慌てて募集を打ち 切った。
「技術、サービス、信頼性。中国企業にとって日本の中小企業は宝の山だ」。アリババの孫炯(スン・チュン)日本事業担当バイスプレジデント(39)の言葉に自信がみなぎる。
大学2年の時に天安門事件があった。「外の世界が見たい」と、香港のビニール製品メーカーに就職。300ドルの月給を500ドルに上げてやると言われてアフリカに行き、強盗に銃を突きつけられながらスリッパを売りまくった。
95年、上智大に留学していた妻を追って来日。早口の日本語は、お好み焼き屋などでバイトをしながらの独学だ。99年に起業を決意。「自分の資産は、中国人であることだけ」と、知り合いの日本人たちに「中国の何に興味があるか」と聞いて回った。
翌年、中国のサイトなどで株の情報を集めて翻訳し、日本の証券会社に提供する会社を設立した。1年で年商1億の企業に成長させた才気が、アリババの目にとまった。
日本の中小企業に注目したきっかけは、来日して間もないころに見たテレビ番組だった。東京都江東区の町工場で、米航空宇宙局(NASA)が使う極細のバネを、職人が一人で作っていた。「中国なら国有の大企業でもできない技術だ」と目をむいた。
アリババは中国製品を世界に紹介し、全世界のユーザー約3560万という巨大ネット市場をつくり上げた。今回、外国の製品を中国に売り込む初のビジネスモデルを、日本から仕掛ける。集まった商品は1万6千点余。国内市場が細るなか、出品する中小企業の思いは切実だ。
商品の価値と市場のニーズを見極め、結びつける。その嗅覚(きゅうかく)を武器に生きてきた孫さんは、一つの思いを強くしている。
「日本の技術、サービスと中国の巨大市場は世界で一番の補完関係になれるはずだ」(林望)
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