2009年1月27日火曜日

asahi shohyo 書評

糸と痕跡 [著]カルロ・ギンズブルグ

[掲載]2009年1月25日

  • [評者]奥泉光(作家、近畿大学教授)

■歴史叙述を小説と対比して思考

  20世紀半ばからこちら、歴史叙述は国家のイデオロギーに染め上げられ、ときに捏造(ねつぞう)さえ行われて、その結果、歴史は信用を失ってしまった。歴 史とは、結局のところ、国家や民族にアイデンティティーを与える虚構の物語にすぎないとする考え方も出てくるに至った。さらに、そもそも歴史資料の多くは 虚偽であり、そこからどうして真理が導けるのかという、古くからある方法上の疑問がここに加わる。危地に陥った歴史を救出することは、いま最も重要かつ緊 急の課題であるだろう。

 本書は、イタリアの歴史家であるギンズブルグの手になる、歴史叙述の真理性をめぐるエッセー集である。史料と長年格闘してきた 経験に支えられながら、ホメロス、ヴォルテール、スタンダールといったテクストを俎上(そじょう)に載せて展開される思索はどれも興味を惹(ひ)くが、な かで一番注目されるのは、小説と対比して思考する独自の方法である。

 小説と歴史叙述はともに「語り」である点で重なり合う。もちろん小説は最初から虚構であるのだが、しかし小説には虚構を「真 実」とみせる「語り」の技術があり、著者はこの小説固有の技術を分析することで、歴史叙述の真理性が棲(す)むべき場所を照らし出そうとする。歴史家の立 場から虚構の謎へ斬(き)り込んでいく思考は刺激的だ。

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 上村忠男訳

表紙画像

糸と痕跡

著者:カルロ ギンズブルグ

出版社:みすず書房   価格:¥ 3,675

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