初の神仏習合寺院か 仏堂に四天王像 京都・馬場南遺跡
発掘が進む馬場南遺跡の仏堂跡(手前)。向こうは礼堂跡など=13日、京都府木津川市、新井義顕撮影
発掘が進む馬場南遺跡の礼堂跡=13日、京都府木津川市、新井義顕撮影
仏堂と礼堂のある建物跡が見つかった馬場南遺跡=13日午後、京都府木津川市、本社ヘリから、南部泰博撮影
仏教で世界の中心とされる須弥山(しゅみせん)をかたどった三彩陶器が出土した京都府木津川市木津天神山の馬場南遺跡(旧・文廻池(ぶんまわりいけ)遺 跡、8世紀前半)で、須弥山と四天王像を安置したとみられる仏堂跡が確認された。13日、同市教委と府埋蔵文化財調査研究センターが発表した。最外郭の柱 だけで建物を支える構造で、8〜10世紀の中国に類例はあるが、国内では初めての発見という。
仏堂跡は東西約5メートル、南北約4.5メートルで、床全面に仏像などを安置する須弥壇(しゅみだん)が築かれていた。周辺からは塑像(土製の仏 像)の破片が多数見つかり、高さ160センチ前後の四天王像と推定される。このうち多聞天とされる像の顔の破片には、左の瞳にはめたガラスが火災で溶けて 流れた跡があった。本尊にあたる仏像は確認されておらず、須弥壇の中心に三彩陶器の須弥山が置かれていたとみられる。
南側の一段低い場所には、僧らが仏事をした「礼堂(らいどう)」とみられる東西8メートル、南北4メートルの建物があり、仏堂とつながっていた可能性が高い。本殿と拝殿から成る神社建築に似た建物だったとみられる。
同遺跡では「神雄寺(かみおでら)」と書かれた墨書土器が出土した。同市教委は「本尊の仏像が見当たらないことや、『神』の字を使う寺名などか ら、最も初期の神仏習合の寺院だった可能性もある」とみる。文化庁記念物課は「国内では従来にない構造の遺構であり、極めて重要な遺跡と考えている」とし ている。
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