2009年1月24日土曜日

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淡路に最大規模の鉄器工房群 邪馬台国論争に一石

2009年1月23日7時23分

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写真弥生時代後期の鉄器工房跡が見つかった垣内遺跡=兵庫県淡路市、本社ヘリから、森井英二郎撮影

写真弥生時代後期の鉄器工房跡や多数の鉄製品が出土した垣内遺跡=兵庫県淡路市黒谷、西畑志朗撮影

写真垣内遺跡から出土した多数の鉄製品。計約70点が出土した=兵庫県淡路市、西畑志朗撮影

地図兵庫県淡路市の垣内遺跡

 兵庫県淡路市黒谷の淡路島北部にある垣内(かいと)遺跡で、2〜3世紀(弥生時代後期)の鉄器工房跡が見つかった。市教委が22日発表した。計10棟あ り、弥生時代では国内最大規模になる。同時代の大規模な鉄器工房群はこれまで岡山以西での発見が大半で、近畿では初めて。大陸から九州北部を経て、東方に 伝わったとされる鉄の流通経路を新たに示す貴重な成果となる。

 当時、入手が困難だった鉄は権力の象徴だった。政治・文化の先進地が九州から、後に大和政権が成立する畿内へと移る過程の遺跡とみられる。所在が 論争になっている邪馬台国が存在したとされる時期とも重なる。鉄器工房群の空白地帯だった近畿で、国内最大規模の鉄加工拠点が確認されたことで畿内説を強 める見方も出ている。

 垣内遺跡は海岸線から約3キロ内陸の瀬戸内海を見渡す標高約200メートルの山上にあり、南北約100メートル、東西約500メートルに広がる。

 市教委の発表によると、計17棟の竪穴建物跡が見つかり、うち10棟(直径約5.5〜10.5メートル)の床面に強い熱で赤茶色に焼けた炉跡が あった。木炭を燃やし加熱した鉄板などの鉄素材(原料)を、鉄のたがねで切って矢じりを作るなどしていたらしい。工房のうち2棟は柱を壁際に寄せ、中央に 加工のスペースを確保した特殊な造りだった。鉄器製作に特化した集落だったとしている。

 斧(おの)の可能性がある珍しい大型鉄器(長さ約20センチ、約560グラム)や矢じり、鉄片など鉄製品約70点もまとまって出土した。当時は日 本で製鉄が始まる前で、鉄素材は朝鮮半島や中国から入ってきたとみられる。大型鉄器は形状などから、大陸からの鉄製品か、板状の鉄素材の可能性があるとい う。このほか、熱した鉄をたたく石づちや下に敷く鉄床石、砥石(といし)など鉄器製作に使ったとみられる石製工具約50点も見つかった。

 弥生時代の鉄器工房は全国の60カ所余りで確認され、破片を含め鉄器約2千点が出土している。とくに朝鮮半島に近い北九州や山陰、岡山などで大規模な弥生の鉄器工房跡が見つかっている。これまでで最大は松江市の上野2(「2」はローマ数字)遺跡(6棟)だった。

 現地説明会は25日午前10時半と午後1時半から。問い合わせは淡路市教委社会教育課(0799・64・0001)。(森直由、天野幸弘)



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