2009年1月31日土曜日

asahi archeology Japanese history Nara Makimuku iseki Yamataikoku

邪馬台国見つかるか 奈良・纒向遺跡中心部を再調査へ

2009年1月31日17時30分

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写真邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡一帯。中央左は箸墓古墳=奈良県桜井市、本社ヘリから

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 邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(2世紀末〜4世紀初め)で、中心部の発掘調査を2月から始めると、市教委が30日発 表した。約30年前に神殿状の建物跡の一部が見つかっており、周辺に大規模な宮殿が造営されていたとみて再調査する。財政難の中、ふるさと納税で全国の考 古学ファンにも調査費の寄付の協力を呼びかけている。「邪馬台国畿内説」の決定打が見つかるか、注目される。

 纒向遺跡は南北1.5キロ、東西2キロ。卑弥呼の墓との説がある国内最古級で大規模な箸墓(はしはか)古墳(3世紀中ごろ〜後半、全長約280メートル)など計6基の前方後円墳がある。その後各地に同型の古墳が広がったとして、「前方後円墳発祥の地」とされる。

 1978年の奈良県立橿原考古学研究所の調査では、正殿とみられる掘っ立て柱建物(縦4.4メートル、横5.3メートル、3世紀初め〜中ごろ) と、脇殿(縦1.8メートル、横1.6メートル、同)の建物跡各1棟が出土。柵(さく)の跡も一部見つかった。この時は、駐車場建設などの開発に先立つ緊 急調査で対象地が限られていた。その後、開発が進まなかったことから、所有者に要請し、遺跡内の集落跡では初の本格的な調査に乗り出すことにした。

 神殿状建物跡の周辺約450平方メートルを3月末まで発掘する。調査費は約400万円。4月以降は成果を踏まえて区域を広げる。今後、数年かけて 中心部の全体像を探る方針だ。遺跡の調査は71年以降160回実施しているが、開発に伴う緊急のものが主で、これまでは部分的にしか発掘されていなかっ た。調査は遺跡全体の5%程度しか終えていないという。

 厳しい財政のため、市は昨年8月からふるさと納税を活用して寄付を募っており、全国から46件約40万円が寄せられた。うち半分が関東から。市税務課は 「桜井市に縁があるという人よりも、古代史ファンからの寄付が多い印象」としている。邪馬台国は九州説も根強いためか、九州からの寄付はまだないという。

 谷奥昭弘市長は「纒向が邪馬台国の中心地と信じている。息の長い調査になると思うが、行政だけでなく、民間の力も活用し実像に迫りたい」と話している。(渡義人)



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