2008年6月3日火曜日

asahi shohyo 書評

町人学者—産学連携の祖 淺田常三郎評伝 [編]増田美香子

[掲載]2008年06月01日
[評者]橋爪紳也(建築史家、大阪府立大学教授)

■社会に役立つ学問を貫いた学者人生

 「産学連携」を唱える経営者や大学関係者は、なにはともあれ本書に目を通すべきだ。学問が社会に貢献するとはいかなることか。その本質を物理学者浅田常三郎の人生に学んで欲しい。

 大阪大学教授に就任した浅田は、戦時下にあって焼夷(しょうい)弾の被害を最小限に抑える消火法を研究、また広島に投下された新型爆弾が核兵器か どうかを科学的に実証する。戦後は、エネルギー効率の高い蛍光灯、金属チタン精錬法、人工降雨技術などを研究する。いずれも物理学を「象牙の塔」に押しこ めず、学術成果を世に役立てることを念頭に置いたものだ。

 敗戦直後の苦労談に感心する。大空襲で焼き尽くされた大阪の街を研究室の学生たちが歩きまわり、廃材を拾い集めた。放棄されていた柱上変圧器から 取り出した材料で、強力なX線を放出するベータトロンをつくりあげた。仏像など文化財の内部を透視撮影、美術史の研究方法に新境地を開く。次に溶接個所の ある輸出品の検査に応用した。今日、空港にある金属探知機などにつながる技術なのだそうだ。

 高名な学究者でありながら、人柄は気さくであった。講義も親しみやすい大阪弁だ。たとえば「周期二秒で振動していると仮定すると」と語るところが、「二秒おきにあっちゃこっちゃ振れてると思うとくなはれ」となる。

 「それ、なんでだんねん?」が浅田の口癖であった。会話のなかで、わずかでも疑問が生じると、間髪を入れず誰にでも問いかけた。彼の純粋な疑問が、しばしば新しい発見につながった。凡人が気づかない課題を見いだす嗅覚(きゅうかく)にたけていたそうだ。

 腰は低いが権力に媚(こ)びを売ることなく、社会に役立ちたいという思いから、真摯(しんし)に学術に向き合う。その姿勢と気骨に、誰もが尊敬の 念を抱くはずだ。門下からソニーの創業者盛田昭夫、ゴルフクラブの開発や株式投資に物理学を応用した増田正美をはじめ、そうそうたる才能が輩出したのもう なずける。「町人学者」という表題は、浅田への最高の賛辞だ。

    ◇

 著者は浅田氏の弟子の板倉哲郎、更田豊治郎、住田健二、北川通治、岡田健各氏。

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