2008年6月7日土曜日

asahi education Ph. D Tokyo University

目見えず、耳も聞こえず 東大・福島さんに博士号

2008年06月07日15時22分

 目が見えず、耳も聞こえない。ヘレン・ケラーのような障害のある福島智(さとし)さん(45)が東京大学で学術博士号をとった。盲ろう者の「博士」は国内初。世界でもきわめてまれだ。自らの人生の絶望と再生の歩みを分析して論文にした。11日、学位授与式がある。

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博士号を取得した福島智さん。指点字通訳が指先に言葉を伝える=福留庸友撮影

 福島さんは神戸市生まれ。3歳で右目を、9歳で左目を失明。さらに、14歳で右耳の聴力を、18歳ですべての音を奪われた。

 人とコミュニケーションできないことに、何よりもうちのめされた。救ったのが、母令子さん(74)が思いついた「指点字」だった。

 点字は六つの点の組み合わせで50音などを表す。点字のタイプライターは、両手の人さし指、中指、薬指の6本を使って打つ。令子さんは、同じように息子 の6本の指先に打って言葉を伝えた。この方法を生かした「指点字通訳」で、福島さんは人とのコミュニケーションを取り戻した。

 周囲の支援をえて都立大学で学び、01年から東大先端科学技術研究センター助教授に。03年から博士論文にとりくみはじめた。

 19歳までの自分を研究対象にした。幼稚園の絵日記、中高時代の手記、母や自身の日記、関係者へのインタビューなどから、その「喪失と再生」を浮かび上がらせた。

 4歳で右目を摘出。手術室の無影灯の不気味な光と切なさ。6歳のとき「義眼を出して見せろ」といじめにあう。全盲で右聴力も失った14歳。全盲の教師に「目が見えんて、どういうことや」と問われ、「障害」や人生について問い、考え始めた。

 そして盲ろうに。無音漆黒の世界にたった一人、孤独と絶望のふちに沈んだ。盲学校では教師や友人が「指点字」で話しかけてくれたが、友人がいなくなると集団の中に独りぼっち。さらに深い孤独と絶望を味わった。

 ある日、喫茶店で先輩が第三者の発言を指点字でそのまま「通訳」し、周囲の様子もラジオの実況のように伝えた。目の前がパッと開け、この世に戻ってきた気がした。

 論文で最も伝えたかったのは「コミュニケーションにいのちを救われたということ」。盲ろうとは「コミュニケーションで大切な『感覚的情報の文脈』 の喪失。相手の表情や声の調子などの『感覚的情報』がないと、本当の意図などの『文脈』もわからない。通訳という支援によってそれを取り戻し、再生する過 程を伝えたかった」という。

 「生後19カ月で盲ろうになったヘレン・ケラーは言葉をえて『人間』に成長する『誕生物語』。だが盲ろう者の多くは、人生の途上でコミュニケー ションを奪われる『喪失』の過程をたどる。自分自身を切り刻んでありのままを分析し、障害やコミュニケーションの意味を考えたかった」

 作業は膨大だった。資料はすべて電子データにし、点字ソフトに変換して読んだ。執筆はパソコンで打ち、点字に変換して確認した。点字と指点字を使うので、指は目であり耳。腱鞘炎(けんしょうえん)に苦しんだ。適応障害と診断され、断続的に休養した時期もある。

 福島さんは「盲ろうは確かにしんどいけれど、自分に言い聞かせてきた『苦悩には意味がある』ということ、それは間違っていなかったと確信しています」と話している。(生井久美子)




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