2008年6月10日火曜日

asahi shohyo 書評

いまなぜ精神分析なのか [著]エリザベート・ルディネスコ/妄想はなぜ必要か—ラカン派の精神病臨床 [著]コンタルド・カリガリス

[掲載]2008年6月8日

  • [評者]香山リカ(精神科医、立教大学現代心理学部教授)

■心をモノとして扱ってよいのか

  このどこか似た邦題を持つ2冊の本の著者カリガリス(男性)とルディネスコ(女性)は、どちらもパリでラカン派の洗礼を受けて活躍する精神分析家だ。書か れたのは前者が91年、後者が99年だから、それほど大きな隔たりはない。しかし、両者のベクトルはまったく別方向を向く。

 カリガリスの方は、妄想を持つ精神病者を病人としてではなく「そういった精神構造を持つ人」としてとらえ、その理解の仕方やかかわり方を丁寧に述べた、いわば精神分析の王道の書。

 ところが、ルディネスコはまさに「だから精神分析は流行(はや)らないんだ」と言う。たしかに世界的に、人間の心の奥に光をあ てる精神分析はかげりを見せ、脳にすべての原因を求める薬物療法が隆盛をきわめている。ルディネスコは、その根底に経済的グローバリゼーションがもたらし た人間のモノ化を見ようとする。

 罪責感やセクシュアリティーなど個人的で内面的な葛藤(かっとう)に苦しむ精神分析的な主体は消え去り、かわりに誰もが「う つ」と診断されるようになり、その原因は脳のセロトニン代謝異常だと一律に説明されるようになった。医者や患者が精神分析より薬物療法を求める理由を、ル ディネスコは皮肉まじりにこう説明する。「現代の治療者は、もはや精神構造に長い期間かまけているひまなどないのです。自由な抑うつ社会においては、時は 金なりといいますからね」

 精神分析業界の中にも内輪もめのような問題もあったことを認めつつ、ルディネスコは人間を差異化していくいまの科学主義は、必然的に民族主義や他者の排除に通じる、とその危険性を指摘する。

 精神分析家が自己防衛のために薬物療法を批判し、分析を正当化するような軽い本ではない。凄(すさ)まじい勢いで"うつ化"す る今の日本社会にもつながる記述も多く見られる。翻訳もすぐれていて読みやすいので、心がモノとして扱われている、と感じているすべての人に読んでもらい たい。精神分析の消滅は、人間性の消滅でもあるのだ。

    ◇

 『いま—』信友建志ほか訳▽『妄想—』小出浩之ほか訳。

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いまなぜ精神分析なのか—抑うつ社会のなかで

著者:エリザベート・ルディネスコ

出版社:洛北出版   価格:¥ 2,520

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妄想はなぜ必要か—ラカン派の精神病臨床

著者:コンタルド・カリガリス

出版社:岩波書店   価格:¥ 3,045

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