2008年6月15日日曜日

asahi shohyo Russian literature

ロシア文学ブーム到来 好調経済も一端、国民性似通う?

2008年6月15日

 ロシア文学が時ならぬブームにわいている。ベストセラーになったドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(亀山郁夫訳)を筆頭に、大名作の新訳が続く。日本人は明治時代以来、根っからのロシア文学好き。国としての好感度はいつも断トツ最下位なのに、だ。

 「書店でロシア文学の本が平積みなのを見ると、隔世の感で感動を覚える」。日本人のロシア文学受容を研究する筑波大学の加藤百合准教授は、しみじみそう話す。

 昨年完結した亀山訳『カラマーゾフ……』は全5巻で80万部を突破するベストセラー。亀山さんと佐藤優さんが対談した『ロシア  闇と魂の国家』(文春新書)は、地味なテーマながら3万部と強気の初刷りで、「売り上げが落ちない。近く増刷する」(同編集部)勢いだ。ソ連時代には忘 却されたブルガーコフの奇書『巨匠とマルガリータ』(水野忠夫訳、河出書房新社)も4月全面改訳された。7月にはトルストイ『アンナ・カレーニナ』の新 訳、9月にはやはり亀山訳のドストエフスキー『罪と罰』が出る。

 ブームの背景にあるのは、圧倒的に読みやすくなった訳文だろう。一昨年に新訳が出たゴーゴリ『鼻/外套(がいとう)/査察官』(浦雅春訳、光文社古典新訳文庫)について、斎藤孝明治大教授は「ロシア文学の重鎮をまるで落語のように軽く訳す。すごすぎる」。

好調経済も一端

 前出の加藤准教授によれば、明治時代、日露戦争前後にもロシア文学の大ブームがあった。「文芸誌に日本人作家の創作がほとんど 載らず、巻頭記事がロシア文学の翻訳だったりした」(加藤さん)。加藤さんの研究によると、美文体で一世を風靡(ふうび)した尾崎紅葉の役割が実は大き かった。ロシア語のできる門弟が下訳し紅葉の指導で「読める日本語」に次々置き換えていく「今では考えられないリレー方式」で世に問うた。

 加藤さんは大学でロシア語を教えるが「ロシア語を履修した学生の就職が非常にいい。クラスは活気づいてます」。資源高で絶好調のロシア経済の影響も、再ブームの一端にはあるらしい。

 富山大教授でロシア詩人のカザケービッチさんは、93年に初めて来日したときのことをよく覚えている。日本人のロシア文学研究者と歩いていると、同僚が感慨深げに言った。「少し前まで、ロシア語を話して歩いていたらスイカを投げつけられた」

国民性似通う?

 保守メディアでは嫌韓、嫌中の論調が目立つが、総務省の「外交に関する世論調査」によれば好感度調査では常にロシアがワースト 1。07年調査でもロシアに「親しみを感じない」人は81.6%。中国(63.5%)、韓国(42.6%)を引き離す。不思議なねじれだが、カザケービッ チさんによれば「それも当然」。

 「プーシキンは外国へ行く友人に『トランクに入れて連れていってくれ』と懇願した。トルストイは家族を連れて亡命したいと手紙 に書き、ゴーゴリは『ロシアと聞いて連想するのは雪と卑劣漢』と言い、医師でもあったチェーホフは『ロシア人はウオツカ好きで医者嫌い。そんな民族に、何 を言うことがあろうか』と書きました」

 ロシア人は、ロシア人が嫌いである。ロシア人は、世界(ヨーロッパ)の外れにいるという劣等感がある。その劣等感ゆえに、ロシア人はロシアが世界の中心であるように考えがちでもある。結局のところ、ロシア人にはロシアしかいらないのである——。

 カザケービッチさんの母国評だが、「ロシア」を「日本」に置き換えると……。明治以来、何度も繰り返す日本での露文ブームの背後には、二つの国の奇妙な相似形が透かし出されてくる。

   ◇

 佐藤優さん(起訴休職外務事務官)の話 今の日本でのロシア文学、とりわけドストエフス キーが受けていることを、私は実は好ましいとは考えていないんです。ドストエフスキーは世界大混乱を予兆する強烈なニヒリズムの文学であり、ひそかに読ま れるべき書。そこに肯定的な価値を付与している日本の読書界は、受け止め方が転倒している。『蟹工船』がヒットしていることとも軌を一にするが、日本社会 の現在の閉塞(へいそく)感を表していると見るべきだ。かつての帝政ロシア/ソ連社会のように、今の日本は、いい人がいい人間のままでいることの困難な社 会になっていることの証左だと思う。(近藤康太郎)

表紙画像

ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623) (文春新書 623)

著者:亀山 郁夫・佐藤 優

出版社:文藝春秋   価格:¥ 788

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カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

著者:ドストエフスキー

出版社:光文社   価格:¥ 760

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蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

著者:小林 多喜二

出版社:新潮社   価格:¥ 420

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