2008年6月27日金曜日

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2008年6月27日 14:06
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「宝の海再生に光」 県内原告も笑顔
諫早湾の潮受け堤防開門を命じた判決に、笑顔で支援者と握手を交わす前田力さん(左)=27日午前10時半ごろ、佐賀地裁
諫早湾の潮受け堤防開門を命じた判決に、笑顔で支援者と握手を交わす前田力さん(左)=27日午前10時半ごろ、佐賀地裁
 「宝の海、有明海の再生に光が見えた」—。国営諫早湾干拓事業をめぐり、潮受け堤防の排水門開門を国に命じた二十七日の佐賀地裁判決。諫早湾閉め切りか ら十一年目にして、漁民の願いが司法に通じた。原告で荒尾市のノリ生産者・前田力さん(59)は喜びを爆発させた。

 同地裁前には、有明海沿岸四県の漁業者や支援者らが集まった。午前十時過ぎ、「勝訴」が知らされると大きな歓声と拍手が沸き起こった。

 「今日まで長かった。漁民の訴えがようやく認められた」。前田さんは傍聴席で判決を聞いた後、地裁前で共に闘ってきた仲間らと握手を交わし喜びを分かち合った。一方で、「漁業の不振で多くの漁師が辞めていったのが残念」と長い闘いを振り返った。

 一九九七(平成九)年四月、干拓事業で諫早湾の奥部が二百九十三枚の鋼鉄製の板で閉め切られた。その後、有明海ではノリの不作やタイラギ不漁が 相次ぐ。漁業者らは「湾閉め切りで潮の流れが弱まったのが漁業不振の原因」として、工事差し止め訴訟などの反対運動に立ち上がった。

 前田さんは二〇〇一年元日、海上デモに参加し、排水門前の海がプランクトンで光っているのを見て衝撃を受けた。「もう有明海は終わった…」。海の異変に言葉も出なかった。しかし、あきらめなかった。「宝の海を取り戻そう」と声を上げ続けてきた。

 〇四年八月には佐賀地裁が工事差し止めの仮処分を決定。喜びもつかの間、翌年、福岡高裁は決定を取り消した。

 しかし、同地裁は今回、湾閉め切りと諫早湾の漁業不振の因果関係もはっきり認めた。

 「一刻も早い開門をしてほしい。潮の流れが戻れば、海はよみがえるはず。国は控訴せず、判決を尊重すべきだ」と前田さんは強調した。(宮崎祥一郎)



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