2008年6月18日水曜日

asahi shohyo 書評

岩佐又兵衛 浮世絵をつくった男の謎 [著]辻惟雄

[掲載]2008年6月15日

  • [評者]石上英一(東京大学教授・日本史)

■ままならぬ憂世に浮世を描く絵師

 伊藤若冲(じゃくちゅう)など、辻惟雄が1970年に『奇想の系譜』で「江戸のアヴァンギャルド」と紹介した画家が、美術展で人気を呼んでいる。辻が「奇想の系譜」の始まりとしたのが、岩佐又兵衛(1578〜1650)である。

 浮世絵の元祖とされる菱川師宣(?〜1694)より以前、戦国時代からの初期風俗画が、慶長末〜元和・寛永期(17世紀前半) に、恐らく又兵衛に主導されて当世風風俗画に衣替えしたものが第1期浮世絵である。又兵衛は摂津の武将荒木村重の末子で、村重が信長に叛(はん)した後、 一人京に育ち画道を学ぶ。1615年ごろ、越前北之庄(福井)に移り、家康の孫松平忠直、その弟の忠昌の時代に活躍する。

 忠直時代の「柿本人麿図・紀貫之図」「金谷屏風(びょうぶ)」に、既にこれぞ又兵衛と言われる、「豊頬長頤(ほうきょうちょう い)」——頬(ほお)が膨らみ下顎(したあご)が長い顔——、マンガ的表情・姿が描かれ、「かたちを歪(ゆが)める遊び」が見られる。又兵衛は、1637 年春、将軍家光に招かれ江戸に出て、「浮世又兵衛」の綽名(あだな)が広まる。

 又兵衛にかかわる作品は、美術史における論争の対象であった。著者は50年間の研究の成果を提示する。「山中常盤(やまなかと きわ)物語絵巻」は、流行の操り浄瑠璃の一つ「山中常盤」を描く。美濃山中宿で殺された母常盤御前の牛若丸による敵討ちの絵巻。80年前、海外流出直前に 発見され、又兵衛の作品か否かをめぐり、論争が巻き起こった。辻は、忠直時代に又兵衛を中心に作られ、常盤惨殺までの部分は又兵衛筆とする。1614年ご ろ、大阪の陣直前の京の繁栄を描く「舟木家蔵 洛中洛外図屏風」は、京都在住期の作品。「かぶく」侍たちの傍ら、大袋を背負う健気(けなげ)な少女の姿に 彼の想(おも)いが見える。

 又兵衛は、江戸への道中の途次、京の建仁寺の辺りの墓場で、六条河原で2歳の又兵衛を残し信長に処刑された母を偲(しの)ぶ。 無常観による憂世(うきよ)の考えは、儘(まま)ならぬ世ゆえに刹那(せつな)の歓楽に身を委ねる浮世の言葉となった。一族虐殺から逃れ浮世を渉(わた) る又兵衛。その故にこそ、血塗られた光景、皮肉と滑稽(こっけい)、「湯女図」の肉体の存在感が共存する。

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 つじ・のぶお 32年生まれ。東大名誉教授、MIHO MUSEUM館長。

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