小説の設計図(メカニクス) [著]前田塁
[掲載]2008年6月8日
- [評者]鴻巣友季子(翻訳家)
■小説が「わかる」とはどういうことか
夕陽(ゆうひ)に向かって走るメロス、世界の中心で叫ばれる愛に、100万人が同じように感動するなんて、やっぱりヘン。そこには、「読む」という徹底し た個人行為と相容(あいい)れないものがある。極めて真摯(しんし)な文芸評論である本書は、こうした異様な一致ぶりを「野合」と呼んで拒む。小説が読む 者によってまるで姿を違えるなどと思いもしないのは、「若者が、恋人が自分の前でだけは素顔を見せていると思い込むことに似ている」と。
本書が分析するのは話題の小説5作と漫画1作だ。例えば、心温まる(と評される)『センセイの鞄』に仕掛けられたSとMの原 理。それが明らかになる1行とは?作者の川上弘美は語り手の絶対的な優位性を自覚的に駆使する一方、表向きには心癒やす物語で、「赤子の手を捻(ひね)る ように」読者を感動させてしまうと言う。また、あらゆる意味で美しい物語『博士の愛した数式』で、小川洋子は虚構という嘘(うそ)をつききるため、いかに 見事な読者目線の誘導を行ったか。あるいは、「言葉の持つ制度への疑い」が、中原昌也の傑作『点滅……』において、モチーフから「描写」へとどのように侵 食したか。
正統的なテクスト批評の手法である。と同時に、丹念なテクスト分析から強烈に焙(あぶ)りだされてくるのは、むしろ書き手の存 在だ。文学における「作者の死」から幾星霜、紆余曲折(うよきょくせつ)、やはり読み手は書き手の「束縛」を完全には逃れられないことを痛感させる。
「右岸と左岸は水によって隔てられている。同時に水を共有し……繋(つな)がっている」
この右岸左岸を人に、水を言葉に読み替えよと著者は言う。これは書きがたさと同時に読みがたさを巡る書なのだ。小説が「わか る」とはどういうことか。翻訳学者のベルマンは、批評は作品への接近であり実経験ではないと言ったが、作品に迫っていく前田塁の筆は作者に成り代わらんば かりの熱を時に帯びる。そこにスリルを感じた。
書くことに透徹した疑いをもつ書き手と、書かれた言葉の不審さから目を背けぬ読み手。その間にのみ成立する設計図、それが本書である。
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まえだ・るい 雑誌「早稲田文学」のプランナー市川真人が手がける批評ユニット。
- 小説の設計図(メカニクス)
著者:前田 塁
出版社:青土社 価格:¥ 1,995
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- 名もなき孤児たちの墓
著者:中原 昌也
出版社:新潮社 価格:¥ 1,575
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- 早稲田文学1
著者:川上 未映子・蓮實 重彦・中原 昌也・福嶋 亮太・芳川 泰久・島田 雅彦・水谷 真人・大杉 重男・田中 りえ・萩山 洋文・アラン ロブ=グリエ・篠山 紀信
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