2008年6月5日木曜日

asahi shohyo 書評

グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』 斎藤環(上)

[掲載]2008年06月01日

■かつてない知的興奮 真骨頂は行間にあり

 私が医学生だったころは、ちょうど「ニューアカ」ブームと重なっていて、日本にもポストモダンと呼ばれる思想が一気に紹介されつつあった。ちょうど精神科を選ぶかどうか決めかねていた私の背中を押したのは、間違いなくそうした時代の雰囲気だった。

 そうしたブームの中で、かつてヒッピーたちの導師の一人だった人類学者、グレゴリー・ベイトソンの再評価もなされていた。当時、精神分析に熱中し ていた私は、ほんのつまみ食いのつもりで『精神の生態学』を手に取り、ほとんど決定的なまでに影響を受けた。本書は私が、ノートを取りながら熟読した数少 ない本のひとつである。

 ベイトソンはコンテクスト(文脈)と関係性を精緻(せいち)に理論化した。現在、彼のアイデアとして唯一広く知られている「ダブルバインド」は、 単なる板挟み状態のことではない。「メッセージ」と「コンテクスト」と「関係性」が三すくみになってフリーズした状態を意味している。

 それにしても「ダブルバインド」のもととなった、ベイトソンの学習理論をはじめて理解した時の知的興奮は、ちょっとほかに比較するものがない。とりわけ「学習2」という概念は、思考のフィールドを一気に押しひろげてくれた。

 以来、私がベイトソンに教えられた「真理」は数知れない。「情報と文脈は対立概念である」「コミュニケーションするのは、心ではなく脳である」 「脳は文脈を理解する異常なハードウエアである」等々。もちろん、本書にこんなことは一言も書いていない。しかしベイトソンの真骨頂は、こうした「行間」 にこそある。

 本書はタイトルこそ「精神の生態学」であるが、むしろ「脳の生態学」として私は読んだ。そこには精神分析が扱いえない、脳に固有の諸問題につい て、いまなお新鮮な洞察が溢(あふ)れている。脳という言葉を主役としない脳科学の本として、いまこそ読まれるべきである。(精神科医)

    ◇

 思索社から86年に上巻、87年に下巻刊行。現在は改訂第2版(合本版)が新思索社から刊行。

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