2008年6月3日火曜日

asahi shohyo 書評

近代・アジア・陽明学 [著]荻生茂博/荻生徂徠 [著]田尻祐一郎

[掲載]2008年06月01日
[評者]苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)

■常識のクルワを出て全体像を明快に

 武士が街を闊歩(かっぽ)し、町人文化が花開いた徳川の世。その時代像は、歌舞伎や時代小説でおなじみだろう。しかし、この時代の思想史について は、さほど知られることがない。きわめて変化に富む思想の歴史もまた、そこでは展開していたのだが、一般むけの本でそのありさまを説きあかした仕事は少な い。教科書などで言及されても、不十分な理解に拠(よ)ったままの場合がよくある。

 一昨年に逝去した思想史家、荻生茂博の遺著である『近代・アジア・陽明学』は、徳川時代の陽明学について専門家の間でもかつて流布した定説に、根 本から疑問を投げかける。体制擁護の理論である朱子学に対して、改革と抵抗の側に立つ儒学という思想像。それを代表するのが、公儀に対して反乱を起こした 大塩中斎(平八郎)であるとされてきた。

 しかし、東アジア全体にわたる知の交流という観点からとらえなおすと、まったく別の姿が浮かびあがる。中国の陽明学の学統から見れば、中斎が学ん だのは、むしろ朱子学との折衷をめざす潮流であった。心情の純粋性と激しい実践を陽明学の特色とするのは、むしろ近代になってから、ナショナリズムと結び つけて創(つく)られた思想像なのである。

 このように荻生は、中国と朝鮮の儒学思想にもわけいり、近代の国民国家が育てた各国別の歴史像を打ち破って、海を越えて広がる思想空間へと、個々 の言説を投げ返した。その壮大な試みは残念ながら中断されたが、遺(のこ)されたこの本は、歴史の見取り図を刷新するさまざまな可能性を、指し示してい る。

 物事を考えるには、今の世の常識に染まった思考という「クルワ」(囲い)を出よ。これは18世紀の大儒学者、荻生徂徠の言葉である。その末裔(ま つえい)でもあった荻生茂博は、「近代」「日本」というクルワを脱した思想史学を提唱していた。徂徠に関する新たな評伝で、田尻祐一郎は、同じ言葉から、 人間の文明をめぐる徂徠の思考を、さらに読みとっている。

 人間性とはどういうものか。秩序はいかにしてできあがったのか。できあいの通念に満足せず、そうした根本問題を考えぬいた結果、徂徠は、中国古代の聖人王による秩序の創出という歴史の原点にたちもどり、その視座から、知と政治、双方の改革を唱えた。

 かつて徂徠の思想は、徳川支配体制の御用思想家とか、政治原理における「近代」の萌芽(ほうが)とかいった総括を、研究者によって被(かぶ)せら れてきた。そうした早急な結論づけを避け、著作の内にある論理をていねいに解きほぐすことを通じて、田尻は歴史哲学者もしくは文明批評家としての徂徠の全 体像を、明快に描いている。

 評伝の末尾には、同時代の中国や朝鮮の儒学者も徂徠の著書を読み、自著に引用したという指摘がある。一人の思想家の思想を掘り下げて理解する方法 と、国境をこえる議論の空間に、その思想を位置づける方法と。両者の接近手法は、対極にあるように見えながら、過去の思想にむきあう、共通の学問倫理に発 している。そうした探求の厳しさと喜びが、二つの新著から伝わってくる。

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 『近代——』おぎゅう・しげひろ 54〜06年。元山形県立米沢女子短期大教授。▽『荻生徂徠』たじり・ゆういちろう 54年生まれ。東海大教授。


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