2009年7月30日木曜日

kinokuniya shohyo 書評

2009年07月29日

『モラル・ハラスメント—人を傷つけずにはいられない』マリ−・フランス・イルゴイエンヌ/高野 優 訳(紀伊國屋書店)

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「「モラルハラスメント」と翻訳者の社会的責任」

              高野 優(=翻訳家)

 翻訳者は社会的な存在ではない。と、長い間、思っていた。もちろん冷静に考えれば、それがまちがいだとすぐわかる。なんらかの職業についていて、 社会と関わりを持たないということはないからだ。それなのに、「社会と関わっている実感」がないのはどうしてだろう? その理由はおそらく、本が実用品で はなく、たとえ読者に感動を与えても、その感動が個人的で、訳者のところまで返ってくることがほとんどないからだろう。あるいはこれには私自身のトラウマ も関係しているのかもしれない。翻訳者を目指して、仕事もなく、原書ばかり読んでいた頃、サラリーマンでも店屋さんでも職人さんでも、汗水流して働いてい る人が羨ましく思えた。「この人たちは社会に貢献している。それにひきかえ……」というわけである。そうなのだ。「社会的な存在ではない」というのは、 「社会に貢献している実感が乏しい」ということなのだ。

 しかし、それは一冊の本を訳したことによって変わった。その本とは一九九九年に紀伊國屋書店から刊行された『モラル・ハラスメント - 人を傷つけずにはいられない』(マリー=フランス・イルゴイエンヌ著)である。この本はその前年にフランスで出版された「精神的暴力=いじめ」の本で、発 売以来、フランス国内で大反響を呼び、大ベストセラーになった。ちなみに、「モラル・ハラスメント」というのは著者の造語で、フランス語の「モラル」とい う言葉には「精神的な」という意味があるから、直訳すると「精神的な嫌がらせ」ということになる。だが、実は著者自身が書いているように、「モラル」とい う言葉が本来持っている「倫理的な」という意味も、この造語に重要なニュアンスを与えている。著者の定義によると、「モラル・ハラスメント」というのは 「歪んだ自己愛を持っている人間が、ただ相手を貶めることを目的として精神的な暴力をふるう」というもので、それはまさしく倫理にもとる行為だからであ る。著者はこの概念をもとに、まず一作目で夫婦や親子など家族の間の「精神的暴力」を解説し、その続編の『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』 では話を「職場」にかぎって、その状況をつぶさに分析した。

 では、どうしてこの本を訳したことによって、私は翻訳者として社会的な存在になれたと感じたのか? つまり「社会に貢献した」という実感を持つこ とができたのか? それはなんといっても、モラル・ハラスメントの被害者の方々からの反応である。その反応はまず編集部に寄せられた読者の手紙という形で 表れた。それからインターネットの読者による書評、そして被害者の方が立ちあげたホームページ、あるいはこの本を紹介した友人の社会保険労務士のもとに相 談に訪れた人の話……。そういった被害者の方の反応をひと言でいうならば、「『モラル・ハラスメント』という言葉を知ったことによって、自分が受けていた 不当な仕打ちの意味がわかった」、「この本によって救われた」というものである。訳者にとって、これほど心強い反応はない。私はこの本を訳したことによっ て、世の中のためになったのだ。社会に貢献したのである。

 その後、「モラル・ハラスメント」が新聞や雑誌で取りあげられるようになり、また本のほうも増刷を重ねて、少しずつ世間に浸透していくようになる と、「世の中に貢献してよかった」という私の気持ちには、また別の変化が表れた。今度は「訳者の社会的責任として、『モラル・ハラスメント』という言葉を 世間に広めていきたい」と思うようになったのである。続編の『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』のなかで、著者は「この暴力を防ぐには当事者 だけではなく、精神科医や弁護士などの専門家、そしてメディアなどが積極的に立ちあがっていかなければならない」と述べている。幸い、精神科医や弁護士の 方々のなかにはこの問題を重大なものとして考え、モラル・ハラスメントと戦おうという気運が高まってきている(そういった方々のご尽力により、今年の二月 には著者の来日講演会が行われた。また、最近ではモラル・ハラスメント防止の法制化を求めようという動きも出てきている)。

 では、そうしたなかで訳者として自分は何をなすべきなのだろうか? これまで自分のしてきたことをふり返ってみると、まずは訳者と同様「出版人の 社会的責任」としてこの問題に関わる担当の編集者藤�寛之氏と力を合わせ、被害者の窓口になる諸機関への本の紹介などを行ってきた。だが、それだけではま だ十分とは言えない。そこで、今は全国の書店をまわって、本の紹介を兼ねた簡単なセミナーができないかとも考えている。それはまだ実現できるかどうかはわ からない。しかし、そういった活動を地道に続けていくことが、この本を訳して世の中に送りだした「翻訳者の社会的責任」ではないだろうかと考えるのであ る。


*「scripta」第1号(2006年9月)より転載



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