2009年7月14日火曜日

asahi shohyo 書評

アトリエの巨匠に会いに行く [著]南川三治郎

[掲載]週刊朝日2009年7月17日号

  • [評者]青木るえか

■ダリやキリコにはケチな自意識はなかったが…

  有名人のお宅訪問のたぐいは面白いが不愉快である。人の生活をのぞき見るのは面白い。しかし、いやがるお宅にムリヤリ侵入するわけはないのだから、そこで 見せられる家の様子というのは、ものすごくキレイである時はもちろん、乱雑でどうしようもない状態であっても「コレこそが私の見せたいモノ」という自意識 が底に横たわっているわけで、有名人の自意識(=ほぼ自慢)など垂れ流されたって迷惑なばかりである。有名じゃない人の、ふだんの家の様子は見てみたい が。人の家の中をのぞきこんでいて「ノゾキ」として捕まった寺山修司の気持ちはよくわかる。彼も「お宅訪問」の欺瞞性にガマンならなかったのであろう。

 これは欧米のビッグな画家たちのお宅訪問の本である。アトリエと言ってるが、お宅だ。「お宅の中の、自分の自意識と美意識を最大限に自慢する"部屋"」である。もう、いやらしいったらない。

 と身構えて読んでいったんだけど、さすがヨーロッパの画家、それもダリだのキリコだの、それほどのビッグ級となると、「お宅」 がキレイだろうが汚かろうが、そんなところに自意識=自慢を出そうなんてケチな根性はなく、「いやもうオレももてあましちゃってんのよ、オレのこと。大き すぎて」という嘆息が聞こえてくる。キリコのポートレートなんかもう、デカすぎて自分でもどうしたらいいのかわかんなくなっているゾウアザラシのような憂 鬱さすら感じられる。ダリも、明らかに自分の才能を迷惑に思ってるよな、この顔は。

 しかし、登場する巨匠を見ていると、やっぱり「お宅自慢」のナマグサイ空気を出している人もいる。リクテンスタインとかシン ディ・シャーマンとか。この差はどこから来るんだろう。自分のルックスに自信ありそうだからだろうか。それから、日本人アーティストも出てきていて、岡本 太郎以外は全員、すごくナマグサイのだ。これは「岡本太郎を除く日本人の特性」なのか、それとも「私が日本人なので細かい表情まで読み取れてしまう」から か。

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