2009年7月14日火曜日

asahi shohyo 書評

海岸線の歴史 [著]松本健一

[掲載]2009年7月12日

  • [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

■日本人の海への感情解き明かす

 本書を読み進みながら、著者はなぜこのテーマに取り組んだのだろうと考え続けた。

 確かに日本は海岸線の長い国で、アメリカの一・五倍、中国の二倍以上もある島嶼(とうしょ)国家である。この海岸線と国民性の 間にどのような関(かか)わりがあるかについて先行書はないのだという。さらに「日本民族は折口信夫のいうような『海やまのあひだ』に住まいしてきた民族 であり、その感受性というか原想像力とすると、海彼に故郷を思い海辺に生きてきた民族」との指摘もわかる。実際に著者は、古代の「万葉集」から現代作家の 海辺を描写する作品まで引用しながら、私たちの心象風景にある海への感情を解き明かすのだ。

 「江戸時代を通してずっと繁栄していたような、白砂青松(はくしゃせいしょう)の遠浅の海」は、やがて開国と同時にすたれて いった。より深く、潮の流れも速く、外洋に面した海にとその座を譲る。そして「日本とは何か」というナショナル・アイデンティティーを求める心の声や心理 的葛藤(かっとう)が問われることになる。

 頁(ページ)が進むうちに次第に明らかになってくることがある。現代日本人の意識は急速に海から、そして海岸線から遠ざかって いるというのだ。海の論じ方も資源ナショナリズムであったり、国際法的な枠組みに限定されたりと、文化、文明の視点は欠落している。文部省唱歌「われは海 の子」が教科書から一度消えたのも、海の風景が人工的に手を加えられたからとも指摘する。

 著者はこうした現実を単純に告発したり、慨嘆しているのではない。「風土、歴史、文化」の変容の様を自らに納得させようとの思いが本書を書かせた理由だと窺(うかが)えてくるのだ。

 朝鮮半島の釜山から高速艇で福岡に戻ったとき、著者は玄界灘に次々にあらわれる「白い砂浜をもち、緑の林をもった島の風景」に思いを馳(は)せる。いつか私の魂はこの風景のもとに帰ってくるだろうと実感したそうである。それが私たちの「ふるさと」だからという。

 著者の意図はどうあれ老いた者が読むと思わず自らの死生観を自問したくなる書である。

    ◇

まつもと・けんいち 46年生まれ。麗沢大学教授。『評伝 北一輝』など多数。

表紙画像

海岸線の歴史

著者:松本 健一

出版社:ミシマ社   価格:¥ 1,890

表紙画像

1 若き北一輝 (評伝 北一輝)

著者:松本 健一

出版社:岩波書店   価格:¥ 3,150

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