仏典をよむ—死からはじまる仏教史 [著]末木文美士
[掲載]2009年7月12日
- [評者]石上英一(東京大学教授・日本史)
■思想書として読み今をとらえる
仏典を思想書として読み直し、今という時代をとらえ直す糧とする。本書は、著者のそうした思索の実践を記している。
ブッダの死への旅路を伝えるのが「遊行(ゆぎょう)経」である。悲しむべきブッダの死は、また死を超えた悟りへの到達でもある。死と隣り合わせの生、死と再生の願いから仏教は始まる。
「無量寿経」は、発心し王位を捨て出家したインドの法蔵が、誓願成就して無量寿仏(阿弥陀仏)となり極楽浄土を実現することを 記す。ブッダ亡きあと、一人の仏が導く世界の外に、無数の仏・世界が存在すると考えられるようになる。修行を積んで仏となる道が開かれ、死して他界に渡る ことも可能となる。阿弥陀浄土は、死者の蘇(よみがえ)る救済の世界となる。
インド僧の竜樹は空(くう)の思想を理論化した。それ自体で存在し他に依存しない実体(自性<じしょう>)の存在を否定する。 無自性であることで、はじめて事物は因縁により相互に関連しあい、成り立つ。死すべき存在の自己を永続的なものと見ることから、自己と物への執着と苦しみ が生じる。空すなわち無自性の立場により、執着の主体・客体たる永続的存在が無いことを知り、苦から脱することができるという。
このような思想の大乗仏教が中国を経て日本に伝わり、土着化して独自の発展を遂げた。著者の論は奈良時代前後の民間仏教を記す 「日本霊異記」に始まり、日本人宣教師ハビアンの仏教批判「妙貞問答」に及ぶ。そして最澄「山家学生式(さんげがくしょうしき)」と空海「即身成仏義」に より平安仏教の確立を示す。さらに、法然「選択(せんちゃく)本願念仏集」、親鸞「教行信証」、道元「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」、日蓮「立正安国 論」などを通して、日本的展開を遂げた鎌倉仏教を、現代の視点も交えてとらえ直す。
数年前にブッダ成道の地ブッダガヤーの菩提樹(ぼだいじゅ)の周りで五体投地する僧を目にし、奈良では鑑真像にまみえたが、拝 観するのみの私は思想の根源には思い及ばなかった。仏典は深遠難解だ。だが本書を読み、改めて、現代語訳や注釈書を手に仏典をひもとき、生と死、自己と他 者を巡る思索を試みたくなった。
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すえき・ふみひこ 49年生まれ。国際日本文化研究センター教授。『日本宗教史』など。
- 仏典をよむ—死からはじまる仏教史
著者:末木 文美士
出版社:新潮社 価格:¥ 1,890
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- 日本宗教史 (岩波新書)
著者:末木 文美士
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