2009年2月2日月曜日

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「淫」が常用漢字に仲間入りした理由

2009年1月31日23時2分

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 萎淫鬱怨苛牙潰傲挫塞斬恣嫉呪凄嘲妬貪罵蔑冥闇拉慄。

 呪文のような漢字群を見ていると、荒涼とした心象風景が広がってくる。まるで、今の世相が映し出されるかのように。どれも、常用漢字表に追加される予定の191字の中に入っている。逆に明るいイメージの漢字は、「錦」や「爽」「鶴」「瞳」「虹」くらいしか見あたらない。

 81年に当用漢字表から常用漢字表へ移行した時、こんなことはなかった。追加された95字の中に暗いイメージの漢字は少なく、むしろ「蛍」や「猫」「朴」「癒」「悠」など心なごむ字が目につく。

 作家の出久根達郎さんは文化審議会国語分科会の漢字小委員会で委員を務めている。「審議の最中は気づきませんでしたが、本当に暗い漢字が多い。拉致の『拉』もあり、現代を象徴しています。私たちが日常よく目にする字が常用漢字になるのでしょう」

 小委員会で「鯨」が「鯉(こい)」と「鯛(たい)」を逆転した話が出たことがある。戦時中の標準漢字表では「鯉」と「鯛」が常用漢字で、「鯨」はその下 の準常用漢字。戦後、食生活の変化などを反映したのか、「鯨」は当用漢字、常用漢字になり、「鯉」と「鯛」は消えてしまう。漢字は、人の世を映し出す鏡な のだろう。

 新常用漢字表(仮称)の試案では「一般社会においてよく使われている漢字」が字種選びの基準になった。小委員会は5回の漢字出現頻度数調査で3506字を選び出し、1字ずつ検討した。書籍などから拾い上げられた漢字は全部で約14億5千万字。

 朝日新聞と読売新聞の紙面も調査の対象になった。論調は違っていても、表外漢字で出現頻度が高いのは、1位の「藤」から7位の「狙」まで全く同じだった。

 191字の中で、採否が最も話題になったのが「俺(おれ)」。「公の場では使わないから入れなくてよい」という意見と「日常生活ではよく使うから入れる べきだ」という意見がぶつかった。採用の決め手の一つになったのがウェブサイトの調査だ。全表外漢字の中で「俺」の出現頻度は、書籍では5位だが、イン ターネットの世界では1位だった。

 国立情報学研究所副所長の東倉洋一さんが小委員会で指摘したように、現実の社会生活とかなり異なる言葉の使われ方がネット社会にはあることを、如実に示す数字だ。

 中心となった書籍調査の場合、凸版印刷が04〜06年に作った本860点分の組み版データを分析した。単行本を中心に「文芸春秋」や「週刊ポスト」などが含まれる。

 もっと軟派の本もある。昨年6月の小委員会で話題になったのが官能小説。前月に公表された追加字種の第1次候補案に、「濡(ぬ)」れる、「覗(のぞ)」く、「撫(な)」でる、「淫(みだ)」らといった漢字が入っていた。それが官能小説の影響ではないか、というのだ。

 日本新聞協会用語専門委員の金武伸弥さんは協会内で出た意見として、調査で使われた単行本の分野や作家にかなり偏りがあると指摘した。たしかに、540点の単行本の中に『柔肌ざかり』『インモラルマンション』といった題名の小説が26点ある。

 調査を担当した文化庁国語課は「現在の文字生活の実態を考えれば、官能小説がこのくらい入っていてもいいのでは。調べた漢字の数が非常に多いので、ノイズのようなものはほとんど落ちてしまう」と影響を否定した。

 司馬遼太郎の作品が約50点あるのは多すぎるという指摘もあった。国語課はやはり「特定作家の文字遣いの影響は残らない」としていた。

 官能的な4字の中からは結局、「淫」が常用漢字に仲間入りする。世相を表す年末恒例の「今年の漢字」に選ばれなければよいが。(編集委員・白石明彦)



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