幻想の重量—葛原妙子の戦後短歌 [著]川野里子
[掲載]2009年8月2日
- [評者]穂村弘(歌人)
■「人間」の孤独な戦いという逆説
「幻視の女王」「魔女」「黒聖母」「ミュータント」などの異名をもつ伝説の歌人葛原妙子。だが、本書においては、彼女の画期的な文体が、実は短歌の定型空間のなかで誰よりも「人間」であろうと願い、戦い続けた結果獲得されたものだ、という魅力的な逆説が提出されている。
「社会の女性観」「伝統的美意識」「第二芸術論」「キリスト教」などのすべてに挑み続けた「人間」葛原妙子の孤独な戦いの全貌(ぜんぼう)が丁寧な作品分析を通じて描き出される。
水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき 『葡萄(ぶどう)木立』
魚が跳ねたという一瞬の出来事がスローモーションで写し取られたような異様な迫力で詠(うた)われている。こんなとき、普通は 魚しか見ないし見えないものだろう。「水のおもて」が割れて再び合わさるなんて、人の目には映らないんじゃないか。それを見て詠えるからこそ「幻視の女 王」であり「魔女」なのだ、と思っていた。
だが、著者はこの歌を含む連作について「葛原が実に不器用に『幻想』と呼ばれるものを造り出していった過程がわかる」と述べる。そして「魚は古代キリスト教でイエス・キリストを象徴した」ことを踏まえた読みの可能性を提示する。
「葛原は日常些事(さじ)に見える魚の死を描きながら、そこにキリストの死の物語を重ね、イエスに救われることの無かった自ら と世界を問うているのではなかろうか」。魚が跳ねたというだけの歌の背後に、救われなかった世界に生きる「人間」の思いがそこまで込められているのか。キ リスト者の家族のなかで受洗を拒み続けた葛原の孤独な臨戦意識に畏怖(いふ)を覚える。
殺鼠剤(さっそざい)食ひたる鼠(ねずみ)が屋根うらによろめくさまをおもひてゐたり 『飛行』
この歌についても「奇抜な発想にはその根底に『私とは何か』という問いがある」と記される。「人間」の運命についての意識が言葉の隅々にまで充填(じゅうてん)されていることが、幻想の「鼠」に自画像の生々しさを与えたのか。
◇
かわの・さとこ 59年生まれ。歌人。歌集に『太陽の壺(つぼ)』(河野愛子賞)ほか。
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著者:川野 里子
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