2009年8月11日火曜日

asahi shohyo 書評

日本・ポーランド関係史 [著]E・パワシュ=ルトコフスカ、A・T・ロメル

[掲載]2009年8月9日

  • [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

■諜報から浮かびあがる国策の裏側

 ポーランドは両側にソ連とドイツという大男が眠っていて、彼らが寝返りを打つと潰(つぶ)されてしまう——一九三〇年代後半に同盟通信のワルシャワ特派員だった森元治郎から聞かされたことがある。戦後は日ポ協会の設立発起人、そして長期間会長職にあった。

 本書にも登場するその森の言が実感できる書である。

 日ポ関係はその当初は遠隔ゆえに「交流は散発的で、ほぼ文化の領域」に限られていた。しかし二十世紀に入るとロシアに対抗する 同盟といった形に進み、日本はその独立を支援し、ポーランドの政治家たちもロシア弱体化のために日本の助力を期待することになる。とくに日露戦争ではそれ が顕著で、ポーランド側は日本軍がロシア軍内のポーランド人兵士に向けてロシア軍からの離脱を促す声明文を作成するのに協力している。

 日本にとってポーランドはロシア・ソ連を牽制(けんせい)する、あるいはドイツの本音をさぐるときになんとも便利な存在だという点で結びつきを深める。

 著者のひとりルトコフスカは日本になんども留学して近代日本史にとりくんだ研究者であり、多くの日本の文献、資料にもあたっている。それゆえに近代日本の国策の裏側がはからずもポーランドというフィルターを通して浮かびあがる。

 二十世紀を時間を追いつつ解説しているが、やはり圧巻は第2次大戦中の日本とポーランドの諜報(ちょうほう)を通じての交流だ ろう。日本側は密(ひそ)かにポーランドの情報将校と接触を続けていた。とくにリトアニアのカウナスで、あるいはストックホルムでの日本側との情報交換、 それが表面化したのが杉原千畝の亡命ユダヤ人へのビザ発行や小野寺信武官からの対米戦不可の執拗(しつよう)な電報だったというのだ。

 ポーランドのソ連への接近、日本のドイツとの同盟、その狭間(はざま)でもうひとつの「歴史」をつくろうとしていた両国の名も忘れられた人たち、その息づかいが行間から聞こえてくる。それをどう受け止めるか。著者も私たちも十分な答えを見いだしていない。

    ◇

 柴理子訳/Ewa Palasz−Rutkowska/Andrzej Tadeusz Romer ともにポーランド人。

表紙画像

日本・ポーランド関係史

著者:エヴァ パワシュ=ルトコフスカ・アンジェイ・タデウシュ ロメル

出版社:彩流社   価格:¥ 3,360

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