2009年8月12日水曜日

asahi shohyo 書評

座標軸としての仏教学—パーリ学僧と探す「わたしの仏教」 [著]勝本華蓮

[掲載]2009年8月9日

  • [評者]小杉泰(京都大学教授・現代イスラーム世界論)

■ユニークな女性学僧の人生論

 広告や企画制作の仕事をしていた女性が、出家して尼さんとなる。さらに本格的な仏教研究の道に進み、原始仏教の釈迦の教えを求めてスリランカに留学し、パーリ語の経典をきわめる。著者の経歴を聞けば、ユニークな学僧であることは一目瞭然(りょうぜん)である。

 原典から釈迦の教えはわかるので、それを手がかりとしながら、日本の仏教の教えも自在に理解して、自分なりの仏教をみつければいい、という。そのことが、率直な言葉遣いで書かれている。学問的な仏教思想史も、ふつうの現代人の感覚で説明されているから、わかりやすい。

 日本仏教は大乗であり、現代の研究では大乗の経典は後世の創作とされるから、本当の釈迦の教えは何かということが大きな問題となってきた。しかし著者は、原始仏教の経典にも、すでに大乗の考え方があることを見つけたという。

 日本とアジアの仏教をめぐるエッセーとしても、現代人の人生論としても楽しい一書である。ただ、題名が硬すぎて残念な気がする。これでは、一般読者は手に取りにくい。

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