2009年3月10日火曜日

asahi shohyo 書評

吉本隆明の時代 [著]すが秀実

[掲載]2009年3月1日

  • [評者]柄谷行人(評論家)

■なぜヘゲモニーを確立できたか

 本書は「吉本隆明論」というよりも、その「時代」、特に1960年の前後10年ほどの時期を扱った歴史書というべきものである。なぜそれが吉本論として語られるのか。この時代が、吉本隆明という批評家がヘゲモニーを確立していった時期だからである。

 それ以前には、さまざまなタイプの知識人がいて、吉本はその中の一人にすぎなかった。そのような知識人らがそれぞれの課題と動 機をもって一堂に会したのが、1960年安保闘争という舞台であった。しかし、この過程で、吉本は他の者を残らず駆逐してしまった。それ以前と以後では思 想の風景が一変してしまったのである。なぜこんなことがありえたのか。

 この問題に関して、著者は二つの参照例をもってきた。一つは、安保闘争をフランスのドレフュス事件との類推で見ることである。 そこから、その頃の日本になぜ自由浮動的な「革命的」知識人が出現したのかを照明する。もう一つは吉本隆明を、戦後フランスの知的世界に君臨した哲学者サ ルトルとの類推で見ることである。なぜサルトルは知識人として別格の地位を得たのか。その理由の一つは、彼が小説家であり、けっして大学の教授にならな かったことだ。つまり、彼は「呪われた詩人」という系譜に属していたのである。

 吉本隆明も同様であった。彼はむしろ、「呪われた」負の部分を栄光へと逆転することによって、勝利したのである。しかし、著者 は吉本隆明の「勝利」にも、勝者によって作られた歴史にも関心をもっていない。実際、吉本が勝者であるとはいえない。彼に覇権を与えた高度資本主義経済 が、彼自身を呑(の)みこんでしまったからだ。それを対象化するには、吉本が消去してしまった諸視点が必要である。

 著者はその鍵を、吉本隆明の罵倒(ばとう)の下に消されていった敗者(花田清輝・武井昭夫・丸山真男など)に見いだそうとして いる。これらの考察は新鮮で啓発的である。本書は"1960年"だけでなく、戦後日本史に関する通念を根本的に変える、スリリングな歴史書である。

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 すが・ひでみ 49年生まれ。文芸評論家、近畿大教授。著書に『1968年』ほか。

 すがは糸へんに圭。

表紙画像

吉本隆明の時代

著者:すが秀実

出版社:作品社   価格:¥ 2,940

表紙画像

1968年 (ちくま新書)

著者:すが秀実

出版社:筑摩書房   価格:¥ 903

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