2009年3月22日日曜日

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3世紀、卑弥呼の宮殿?整然と並ぶ建物跡 奈良・纒向

2009年3月21日11時30分

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写真:直線上に並ぶ建物跡の柱穴(黄棒)や柵列遺構(白棒)が見つかった纒向遺跡=奈良県桜井市、矢木隆晴撮影直線上に並ぶ建物跡の柱穴(黄棒)や柵列遺構(白棒)が見つかった纒向遺跡=奈良県桜井市、矢木隆晴撮影

 邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(2世紀末〜4世紀初め)で、3世紀前半の三つの建物跡が同じ方位を向き、同一線上に 並んで建てられていたことがわかった。市教委が20日発表した。周囲には約40メートルに及ぶ柵(さく)列の遺構もあった。市教委によると、これほど計画 的に造られた同時期の建物跡の確認例はなく、専門家は「宮殿など極めて重要な場所の西端だった可能性がある」と指摘している。

 県立橿原考古学研究所による78年の調査で、脇殿を備えた神殿状建物跡(約5メートル四方)と柵列遺構の一部(約15メートル)が出土。2月から の同市の調査で、神殿状建物の東約5メートルで新たに三つの柱穴(直径約15センチ)が見つかった。南北6メートル以上の建物だったらしい。周囲からは柵 列の延長(約25メートル)も出土した。

 また、過去の調査を再検証した結果、神殿状建物の西約10メートルで見つかっていた柱穴も、別の建物跡(幅2メートル以上、奥行き5メートル)と みられることが判明。三つの建物は柵を挟んで東西の同一線上に並んでいた。遺構はさらに東へ広がっているとみられ、市教委は新年度に調査区域を広げて全体 像を探る方針。

 兵庫県立考古博物館の石野博信館長(考古学)は「3世紀段階で建物が軸をそろえて並ぶのは極めて異例だ。建物をきれいに配列する中国の思想を既に受けていたのだろうか。ここが邪馬台国とすれば卑弥呼の宮殿の一角なのかもしれない」と推測する。

 纒向遺跡は南北1.5キロ、東西2キロ。248年に死去したとされる卑弥呼の墓との説があり、国内最古級で大規模な箸墓(はしはか)古墳(全長約 280メートル)をはじめ、巨大な前方後円墳が点在。全国各地から持ち込まれた土器や、土木用工具が多く出土するなど「日本最初の都市」とされる。

 現地説明会は22日午前10時と午後1時。JR桜井線巻向駅そば。駐車場はない。



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