2009年3月13日金曜日

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平安の瓦出土、蔵王堂創建時のものか 奈良・金峯山寺

2009年3月13日19時42分

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写真:現在の檜皮ぶきの蔵王堂。平安時代の瓦は、堂の西側(写真左)の軒下から出土した=奈良県吉野町現在の檜皮ぶきの蔵王堂。平安時代の瓦は、堂の西側(写真左)の軒下から出土した=奈良県吉野町

写真:蔵王堂の軒下付近から出土した平安時代の瓦。創建期のものとみられる=奈良県吉野町の金峯山寺蔵王堂の軒下付近から出土した平安時代の瓦。創建期のものとみられる=奈良県吉野町の金峯山寺

 桜の名所として知られる吉野山(奈良県吉野町)にある世界遺産、金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂(ざおうどう)(国宝、16世紀)のそばから平安時代後 半(11〜12世紀)の瓦が見つかった。県立橿原考古学研究所が13日発表した。現在の蔵王堂は檜皮(ひわだ)ぶきで、瓦は創建時のものとみられる。専門 家は「この時代の山中に瓦ぶきの建物があるのは極めて珍しい」と指摘している。

 防災用水道管の改修工事のため、蔵王堂周辺の6カ所(計約70平方メートル)を調査。建物西側の軒下で幅1メートル、長さ5メートルの範囲から平 瓦、丸瓦、軒平瓦の破片約200点が出土した。型式や製法などから平安後期の製造と特定した。狭い範囲でかなりの量が見つかったことから、当時は大量に瓦 を使った建物だったとみられる。

 金峯山寺は7世紀後半に修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が開いたと伝わる。現在の蔵王堂(高さ34メートル、36メートル四方)は 1592年に再建された。それまでに少なくとも4回は焼けたとされるが、創建時期ははっきりしていない。寺史などから11〜12世紀ごろと推測されてお り、今回見つかった瓦と時期が一致する。

 菅谷文則・滋賀県立大名誉教授(考古学)は「山で瓦をふくのは大変な労力で、当時は高野山や比叡山などでも檜皮ぶきだった。1092年に吉野山を訪れた白河上皇ら、よほどの権力者が建立を支援したのだろう」と話す。(渡義人)



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