2009年3月31日火曜日

asahi shohyo 書評

無一文の億万長者 [著]コナー・オクレリー

[掲載]2009年3月29日

  • [評者]橋爪紳也(建築史家、大阪府立大学教授)

■援助や慈善にこそビジネスの才覚を

  知人の顔が浮かんだ。30年近く前の話である。彼が手がけた新商売は、太平洋の島々に出かける日本人旅行者向けの土産物の製造販売であった。南国気分を損 ねないようにトロピカルなパッケージを創案、わざと誤字の交じるカタコトの日本語で商品説明を記した。異国の業者が企画した商品だと観光客が勘違いをする ように工夫したわけだ。サイパンに会社を設けて準備は周到であったが、免税品店に売り場を確保することができない。参入の難しさを嘆いていたことを思い出 す。

 本書は、海外旅行者を対象としたDFS(デューティー・フリー・ショッパーズ)を創業したチャック・フィーニーの物語だ。駐留 米兵向けに始めた酒の販売を手がかりに、香港を拠点に各国で免税品店を展開する。日本人の海外旅行ブームが追い風となり、ビジネスは成功した。職場や親類 への土産にと、洋酒や香水、化粧品を山のように買い求める金払いのよい日本人が大型店舗に殺到した。

 フィーニーはついに億万長者になった。しかし話は単なる立志伝では終わらない。彼は全財産をみずから設立した財団に寄託、自身 で真価を見極めた事業に生半可ではない巨額の寄付を行う日々に転じる。莫大(ばくだい)な資産は2020年ごろに使い果たす約束だ。「死に装束にポケット はない」「富は責任を伴う」など、彼の生きざまに由来する金言が本書にちりばめられている。

 しかもフィーニーは名前が世にでることを拒み、完全な匿名とすることを寄付の条件とした。家も持たず、飛行機での移動はエコノミークラスで通すなど、生活も徹底的に節約した。日本にも陰徳の伝統はあるが、ここまで極める人はまずいない。

 アイルランドでの大学の拡充やベトナムの病院への支援など、彼の寄付事業が見事に開花した点が素晴らしい。訳者があとがきで記 すように、寄付をする側にも寄付を受ける側にも、ビジネスセンスが重要であることに気づかされる。援助や慈善の分野にこそ、生きた金を使うビジネスの才覚 が必要なのだ。

    ◇

 THE BILLIONAIRE WHO WASN'T

 山形浩生ら訳/Coner O'Clery 北アイルランド出身のジャーナリスト。

表紙画像

無一文の億万長者

著者:コナー・オクレリー

出版社:ダイヤモンド社   価格:¥ 2,100

0 件のコメント: