2009年3月31日火曜日

asahi shohyo 書評

ゼノンのパラドックス [著]ジョセフ・メイザー

[掲載]2009年3月29日

  • [評者]尾関章(本社論説副主幹)

■アキレスと亀の不思議、再び知の前線に

 春らしい問いが、この本の一節に出てくる。「誰でも庭の草花を見たことがあるが、草花が伸びるのを見たことがある者がいるだろうか」

 古代ギリシャの哲学者ゼノンが示した矢の逆説に通じる話だ。「個々の瞬間にものが動いていることはありえない」から、矢は飛ばない。同様に、一瞬目にとめた花に変化がなければ、それは生長しないのではないか。

 ゼノンの逆説は、俊足アキレスが鈍足の亀に追いつけない話など、ほかにもある。極微の時間や空間に目を向けた思索の産物だ。

 私たちは「微視的なレベルの感覚経験にはなじんでおらず(中略)直感に反する不思議に遭遇する」。その不思議をゼノンは思考実験で浮かび上がらせたのだ。人類がナノ世界に踏み込む2500年ほども前に、である。

 迷宮から抜け出す道はあるのか。著者は、選択肢は三つだという。時間や空間について、無限個の点でできていると考えるか、点の集まりという見方を捨てるか、時間や空間の実在を否定するか。

 近代科学は「無限個の点」の道を突き進んで「ゼノンの懸念を片づけた」かに見えた。ニュートン物理学が、無限の小ささを極める微積分の数学で自然界のなめらかな動きを描きだしたのである。

 だが、20世紀物理の登場で様相は変わった。量子力学によると、原子核の周りの電子は「とびとびの飛躍による軌道の変更」しかできない。数学は、現実世界をとらえきれてはいないらしい。

 「ゼノンの逆説が、単純な微積分による論法で答えられたと言って放置されず、再び戻って来たことを、ゼノンは喜んでいるのではないか」

 著者は「意識の流れ」や脳のしくみにも思いを巡らす。

 この世界は、実は動画の齣(こま)の連なりのようなもので、脳が「アニメの齣を補うこと」でなめらかに見えるのか、逆に世界の動きはなめらかで、それを「ストロボ光を通して」見ているのか。迷宮の出口は再び深い霧の中だ。

 飛ばない矢や、追いつかないアキレスが、知の前線に帰ってきた。

    ◇

 THE MOTION PARADOX

 松浦俊輔訳/Joseph Mazur 数学者。著書に『数学と論理をめぐる不思議な冒険』。

表紙画像

数学と論理をめぐる不思議な冒険

著者:ジョセフ・メイザー

出版社:日経BP社   価格:¥ 2,100

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