我、食に本気なり [著]ねじめ正一
[掲載]2009年3月15日
- [評者]松本仁一(ジャーナリスト)
■平凡な食べ物にくっつく家族の情景
スイカが秋の季語だなんて、この本で初めて知った。8月初めの立秋を過ぎたら俳句の世界では秋、ということなのだろう。それに著者は激しく抗議する。「スイカは絶対に夏である。どんなことがあっても夏である」と。
ねじめ少年にとってスイカは、二日酔いの父が照れかくしに小学生の息子を連れて買いに行くものだった。入道雲の炎天下、ビニール網に入れた重いスイカを手に、えっちらおっちら帰る。たらいに浮かせ、井戸水で冷やす。早く食べたくて、上下をひっくりかえしたりしながら。
そうやって冷えたスイカを家族で食べる。「何だ、あんまり甘くないな」「そんなことないわよ」。みんなでがっかりしてみたり、怒ってみたり。それがスイカなのだという。
「スイカという果物はたぶん、スイカそのものではなく、スイカのまわりにある風景や情景を味わうものなのだ」
この本に出てくるのは平凡な食べ物ばかりである。さつま揚げ、牛乳、柿の種、寒天、カレーライス、そうめん、卵、油揚げ……。
しかしそれを食べるとき、その香りや味わいといっしょに、高円寺商店街の乾物屋だった昭和30年代のねじめ一家がぞろぞろと出てくる。食と情景がくっついてしまっているのである。
たとえばホットドッグ。どうにも論評のしようのない食べ物だと思うのだが、ねじめ少年にとっては、巨人の長嶋選手が、デビュー 戦で国鉄の金田投手に連続4三振を食らったとき、後楽園で初めて口にしたものなのである。あこがれの選手が目の前でプレーしている。その興奮とセットに なった食べ物なのだ。
当時の後楽園のホットドッグは人工着色料ばっちりの真っ赤なソーセージだった。それでも少年にとっては、長嶋や与那嶺や川上やエンディ宮本や坂崎が入った食べ物だったのである。(この選手のうち何人知ってます?)
36の食べ物が登場する。そのどれをとっても「そうなんだ、実は自分も……」と身を乗り出したくなる。こういう本、日本中の人が書いてみたらさぞかし面白いだろう。
◇
ねじめ・しょういち 48年生まれ。詩人・作家。『高円寺純情商店街』『荒地の恋』ほか。
- 高円寺純情商店街 (新潮文庫)
著者:ねじめ 正一
出版社:新潮社 価格:¥ 420
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- 荒地の恋
著者:ねじめ 正一
出版社:文藝春秋 価格:¥ 1,890
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