2009年3月10日火曜日

asahi shohyo 書評

漱石の漢詩を読む [著]古井由吉

[掲載]2009年3月1日

  • [評者]奥泉光(作家、近畿大学教授)

■小説とは別の形の言葉の宇宙を開示

  夏目漱石の漢詩には、専門家からの高い評価が以前よりあるものの、広く読まれてこなかったせいもあり、小説家のちょっとした余技くらいのイメージが一般的 なのではないかと思う。連続講義の記録である本書で、漱石の漢詩を俎上(そじょう)にあげ論じた筆者は、それを近代文学の中の「秀でた独立峰」であると、 あらためて顕彰する。ここで「秀でた独立峰」には二つの意味があるだろう。ひとつは、漱石の漢詩が、いまなお人気の高い彼の小説群とは別の、独自の文芸的 な達成であるとの評価である。

 いわゆる「修善寺の大患」の後の病臥(びょうが)において書かれた数篇(へん)と、「明暗」の執筆期に書かれた最晩年の数篇が ここではとりあげられるが、どれもが、小説とはまた違う形の、奥行きと広がりを備えた言葉の宇宙を開示するものであることを、一つ一つの詩句を丁寧かつ簡 潔に、やさしく解説しながら、筆者は明らかにしていく。漢詩というものが、安らぎと苦しみ、諦念(ていねん)と妄執、希望と失望といった大きな振幅のなか で、人間の感情や、世界とのかかわりを表現しうる優れたジャンルであると、読者は深く納得するだろう。

 しかし、「独立峰」の意味はもう一つある。それは、日本において、漢詩を読み書く伝統が、敗戦あたりを境にして途切れてしまっ た事実である。漱石にはあった漢文の素養が自分にはない。終戦の年に8歳であった筆者は、そのことを文中で幾度も嘆く。たしかに戦後の日本文化が漢文教養 を棄(す)ててきたのは間違いなく、それは単に一つの豊かな文芸の伝統が失われたにとどまらない。

 「日本語とは世界で一番バイリンガルな言語なのではないか」と述べ、和文脈と漢文脈が交差することで生み出されてきた言語の力に着目する筆者は、その交差が失われた結果、今日の政治経済を含めた社会全体の言語的危機を招いていると指摘する。これには全く同感だ。

 本書は漢詩を通じての漱石論としても一級品の面白さであり、また、とっつきにくい漢詩の世界への、格好の入門書にもなっている。

    ◇

 ふるい・よしきち 37年生まれ。作家。著書に『野川』『山躁賦』など。

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漱石の漢詩を読む

著者:古井 由吉

出版社:岩波書店   価格:¥ 1,995

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野川

著者:古井 由吉

出版社:講談社   価格:¥ 750

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山躁賦

著者:古井 由吉

出版社:講談社   価格:¥ 1,365

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