2008年4月3日木曜日

asahi shohyo 書評

文明の接近—「イスラームvs西洋」の虚構 [著]エマニュエル・トッド&ユセフ・クルバージュ

[掲載]2008年03月23日
[評者]山下範久(立命館大学准教授・歴史社会学)

■衝突ではなく、近代化の途上として

 著者らは普遍主義者だ。あらゆる社会は近代化する。いかなる宗教もそれを止めることはできない。キリスト教が近代化を妨げなかったように、イス ラームも近代化を妨げるものではない。したがって、近代社会に対する脅威をイスラームに投影しようとする発想は、根本的に誤っている。その主張は強烈な 「文明の衝突」批判である。

 著者らのいう近代化の中身は、煎(せん)じつめると識字率の向上と少子化のことである。識字率が上がると、年少世代は年長世代の言うことを鵜呑 (うの)みにしなくなる。少子化が進むと、資源配分のルールを再設定する必要が高まってくる。両者あいまって、近代化は社会的な規範の流動化をもたらし、 社会的統合に危機をもたらす。著者らはそれを移行期危機と呼び、今日既に安定した近代社会となっている欧米や日本も、かつてそのような危機を(革命や内戦 などのかたちで)経験したと指摘したうえで、いわゆるイスラーム圏の諸社会に今日観察される社会不安も、その反復でしかないと説く。

 そのうえで著者らは、その移行期危機の具体的な現れ方を左右する最も重要な要因は、各社会に構築されてきた家族構造(婚姻や相続の慣習的システ ム)であると論ずる。実際、アフリカから東南アジアまで広がるイスラーム圏の家族構造は多様であり、それに応じて、それら各社会の近代化のこれまでの歩み も多様であることが本書によって一望できる。重要なことは、その多様さは移行期危機の激しさや速度の偏差をもたらすものであって、近代化を阻むものではな いということである。いずれにせよイスラームの教義が近代化を阻んでいるなどというのは、表面的にすぎる観察だ。

 イスラーム圏の諸社会が移行期危機にあるのなら、それに伴う暴力を緩和するために差し伸べられるべき手はあってしかるべきだ。しかしそれ以上にイ スラーム圏の近代化に必要なのは、短慮で傲慢(ごうまん)な介入ではなく、むしろ彼らとの辛抱強い待ち合わせなのだというのが著者らの普遍主義者としての 倫理であろう。

    ◇

 石崎晴己訳/Emmanuel Todd 歴史学者。Youssef Courbage 人口動態研究者。

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