2008年4月15日火曜日

asahi shohyo 書評

友だち地獄—「空気を読む」世代のサバイバル [著]土井隆義

[掲載]2008年04月13日
[評者]耳塚寛明(お茶の水女子大学教授・教育社会学)

■「優しい関係」づくりに囚われ続けて

 いじめ、引きこもり、リストカット、ケータイ依存。私たち大人はその非社会性に眉をひそめ、異質な存在として若者世代を批判する。あげく、若者た ちのコミュニケーション能力や規範意識の欠如に原因を求めて教育改革の柱に据える。この本は、ドラマ、ウェブ日記、歌詞やケータイ小説などを素材として、 若者の行動が時代の社会状況に「正常に」適応した帰結であることを主張する企てである。

 貫流するキーワードは「優しい関係」。彼らは、互いの対立の回避を最優先課題として高度な人間関係能力を駆使する。対立点をあらわにしないための 繊細な気配りが大人の目には人間関係の希薄化と映る。ノリの悪いKYさん(空気が読めない人)は、優しい関係の維持にとって大きな脅威であるがゆえに、忌 避される。優しい関係は息苦しい。だからといってそこから撤退すれば、自己肯定感を支える基盤を失ってしまう。

 私たちの世代のメンタリティーは、たとえ孤立しようとも我が道を行く人間像を貴んできた。だからKYという流行語にも生理的嫌悪を覚える。80年 代以降教育界で目指された個性化教育は、若年世代に規範を押しつけて管理するのではなく、自ら進路を選び取る能力を備えたジャイロスコープ型人間像を掲げ た。個性化教育は皮肉にも、自律的人間ではなく、人間関係に敏感なレーダー型人間を量産したと土井さんは分析する。

 私たちの世代は反抗の対象——親世代が作り上げた既成秩序——を持ち得た世代だった。ところが親となった私たちは、次世代にとって、対抗すべき毅 然(きぜん)たる行動を失った人々と映る。私たちの人生自体が、そして維持している社会システムが、懐疑に満ちた存在にほかならないからである。対抗すべ き対象を失った世代には、自律を渇望する契機と、同時に、純な自分を確認する場が乏しい。

 本書は、大人文化に対抗することすらかなわずに優しい関係の中に囚(とら)われ続ける若者たちの陰が、大人世代の抱える人生の陰によって産み落とされたものであることを教えている。

    ◇

 どい・たかよし 60年生まれ。筑波大大学院教授。『〈非行少年〉の消滅』など。


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