2008年4月25日金曜日

asahi shohyo 書評

イヴァン・ツァンカル作品選 [著]イヴァン・ツァンカル

[掲載]2008年04月13日
[評者]奥泉光(作家、近畿大学教授)

■強靱な意志力で求め続けた「正義」

 イヴァン・ツァンカルは19世紀末から20世紀初頭に生きた、中欧の国スロヴェニアの作家である。本書には掌編と長編が一つずつ収録されたが、長 編「使用人イェルネイと彼の正義」は日本語では初めての翻訳出版であり、ツァンカルという作家が日本で本格的に紹介される最初の機会ではないかと思われ る。

 本書の一番の特色は画家を起用しての本作りだろう。170ページ余の本には20枚を超える数の挿絵が載せられている。一般に挿絵は読者のイメージ を限定する危険があり、嫌われることが多い。けれども本書の作り手たちは、あえて訳文と挿絵の協働でもって作品世界を再現—再創造し、読者の想像力に働き かけようと企(たくら)んだ。その狙いは平明な訳文が醸し出す童話的な雰囲気のおかげもあって、成功している。

 もっとも物語の中身は、童話がときに残酷な内容を含むのだとしても、童話的というのにはほど遠い。長年主人の下で働いたイェルネイは若主人から追 放される。畑も家も自分が働いて作ったものなのに、なぜ追い出されねばならぬのか。イェルネイは正義を求めて放浪する。村長に会い、町の裁判所を訪れ、最 後にはウィーンの都に出て皇帝に問おうとする。だが、行く先々でイェルネイは嘲弄(ちょうろう)され、年寄りは主人に慈悲を請うて家に置いてもらうべきだ と諭(さと)される。正義とは、所有する人間、支配する人間にとってのみ正義にすぎないのだと、リアルな認識を語る者にも会う。

 だが、イェルネイは納得しない。真の正義を求め、ついには神に向かって正義はどこにあるのかと問う。このあたり、旧約聖書「ヨブ記」の反響が聴き 取れるだろう。しかし「ヨブ記」とは違い、和解は与えられることなく、イェルネイは村に火を放ち、劫火(ごうか)のなかで虐殺される。

 陰惨な話ではあるが、読後感は必ずしも暗くはなく、むしろ正義を求めてやまぬ主人公の強靱(きょうじん)な意志力が印象に残る。なにより、一編を通じて、「正義」という日本語が、より広い場所へと解き放たれた感覚が得られるのは、翻訳というものの一番の功徳だろう。

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 イヴァン・ゴドレール、佐々木とも子訳、鈴木啓世挿画/Ivan Cankar

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