2009年8月11日火曜日

asahi shohyo 書評

日本人の戦争—作家の日記を読む [著]ドナルド・キーン

[掲載]2009年8月9日

  • [評者]江上剛(作家)

■民族意識の制御は可能か問う

 本書は、日米開戦の昭和16年から占領下の昭和21年までの文学者の日記で構成されている。

 ドナルド・キーン氏は当時の政治的、文化的な全体像を描こうとしたのではない。文学者の日記を読むことで「日本の歴史の重大な時期における日本人の喜びと悲しみ」を、よりよく理解したいと思っただけだ。

 永井荷風、伊藤整、高見順、山田風太郎、吉田健一など多くの文学者の日記が出てくるが、その選択基準は、当時の日本人の考え方 が理解できる日記を選んだに過ぎない。当時における彼らの考えを暴露する悪意はないと、わざわざ断りを入れている。それは「かなりのショックを受けた」と 言うように、キーン氏の知る彼らの人物像と日記の内容があまりにも大きく乖離(かいり)していたからだ。

 私も同様にショックを受けた。本書を読むまでは英米生活を経験した知識人は、戦争に批判的だと信じていた。たとえ庶民が戦争への狂気に駆り立てられようとも、知性のある彼らは戦争を肯定するはずがないと思っていた。

 ところが伊藤整は開戦に際して「大和民族が、地球の上では、もっともすぐれた民族であることを、自ら心底から確信するために は、いつか戦わねばならない戦い」と興奮し、戦争を「私たちは彼等(かれら)の所謂(いわゆる)『黄色民族』である。この区別された民族の優秀性を決定す る」ものと位置づけたのだ。

 英米文学を仕事にしていた文学者ほど戦争を賛美し、吉田健一は「我々の思想の空からは英米が取り払われたのである」と喜んだ。民族意識が、戦争という事態を前にして彼らの知性を後方に押しやってしまった。

 本書は過去を語っているのではない。私たちの内なる伊藤整を抉(えぐ)り出し、現在の私たちに戦争において民族意識の制御は可能かと問い掛けて来る。

 救いは永井荷風だ。彼は東京空襲の中で「是(これ)皆軍人の為(な)すところ。其(その)罪永(なが)く記銘せざるべからず」と冷静に軍部を批判する。北朝鮮の核問題など国際情勢が緊迫している今こそ、本書は読まれるべきだろう。

    ◇

 角地幸男訳/Donald Keene 22年、米国生まれ。日本文学研究者、文芸評論家。

表紙画像

日本人の戦争—作家の日記を読む

著者:ドナルド キーン

出版社:文藝春秋   価格:¥ 1,800

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