2009年6月24日水曜日

asahi shohyo 書評

鷺と雪 [著]北村薫

[掲載]2009年6月14日

  • [評者]穂村弘(歌人)

■時代の運命に愛の言葉を重ね

 宝石をみせられたとき、私たちは「綺麗(きれい)」と感じる。と同時に、「本物?」と思うのではないか。美しいもの、素晴らしいものをみせられると、反射的にその両方の気持ちが浮上するらしい。

 「女性運転手と令嬢」シリーズの第三作にあたる『鷺(さぎ)と雪』には、宝石のように美しく誇り高い女や男や少女や友情や愛が描かれている。

 物語の背景は昭和初期。現実のその時代に、こんな人々がいたんだろうか。こんな愛が、友情があったのか。信じ難い、などと考える。でも、だからといって「こんなの本物じゃない」とは思わない。

 その理由は、21世紀を生きる我々が、登場人物からみて遥(はる)かな未来人であることに関(かか)わっているようだ。私たちは彼らの未来の運命を知っている。美しい愛や友情の全(すべ)てが、やがて起きる戦争に呑(の)み込まれることを知っているのだ。

 だからこそ、作中の女学生同士の他愛(たわい)ないやりとりを眩(まぶ)しく思い、男女の触れ合うことさえ許されない愛に胸を打たれる。

 一方、彼ら自身の今を生きるしかない作中人物の胸にあるのはびりびりと震えるような暗黒の予感のみ。それこそが彼らの心と振る舞いを研ぎ澄ましているのだ。

 〈わたし個人の死など何ほどのものでもありません。——だが、それを越えたものの崩壊を思うと、無限の怖(おそ)ろしさに身もすくむのです。そういう時、かつてあなたのいった一句を思います。あれを、あなたはお信じになれるのか——と〉

 〈何のことでしょう?〉

 〈——善く敗るる者は亡(ほろ)びず〉

 〈はい、わたくしは、人間の善き知恵を信じます〉

 時代の運命についての男女の会話が、想(おも)いを伝え合うことを許されないふたりのぎりぎりの愛の表現になっている。

 現実にはあり得ないからこそ、夢としては「本物」ということがあるんじゃないか。そして、未来人である私たちは、明日を知らない登場人物から何かを学ぶことができると思うのだ。

    ◇

 きたむら・かおる 49年生まれ。作家。『夜の蝉(せみ)』で日本推理作家協会賞。

表紙画像

鷺と雪

著者:北村 薫

出版社:文藝春秋   価格:¥ 1,470

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