2009年6月13日土曜日

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縄文貝塚「干し貝工場のごみ捨て場」 奈良の研究者新説

2009年6月12日8時9分

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 縄文時代の貝塚は、貝の身に海水の塩分を濃縮させた「干し貝工場」のごみ捨て場だったのではないか——。アフリカ・セネガルで約4千年前から続く貝活用 法をヒントに、奈良文化財研究所(奈良市)の松井章・埋蔵文化財センター長(動物考古学)がこんな新説を打ち出した。製塩土器ができるまでは動物の血液な どから塩分をとっていたというこれまでの説を覆す可能性があり、研究者の関心を集めそうだ。

 松井さんは08年4月、セネガルの首都・ダカールの南約50キロに広がる貝塚群を調査した。数万平方メートルの広大な貝塚の上にある集落で、約100人が古代と変わらない漁労生活を営んでいた。最古の貝塚はダカール大学の調査で約4100年前から続く。

 住民は太古から、カキや巻き貝のむき身を海水で煮込み、水分を蒸発させてから天日干しをして大量の干し貝を作ってきた。身には塩分が濃縮され、そのままでは食用に適さないが、スープの固形だしとして使う。現在は近隣都市の市場で販売され、現金収入源になっている。

 日本にも、宮城県東松島市の里浜貝塚(6千〜3千年前、東西約640メートル、南北約200メートル)、千葉市の加曽利貝塚(5千〜3千年前、長 径300メートル)など大規模なものがある。両貝塚とも2〜3メートルにわたって貝殻が積もり、自家消費用にしては多すぎるとの見方もあった。

 松井さんはセネガルの例をもとに「日本でも集落全体で塩分を濃縮した干し貝を生産し、内陸部との交易品としていたのではないか」と考えた。セネガ ルの干し貝を奈良県工業技術センターで分析したところ、サケやサバの干物の約3倍の塩分が確認された。縄文時代の技術では、海水から塩を作るより、貝のむき身に塩分を濃縮させる方が効率的だったのではと推測。今夏にも学会誌に発表する。

 貝塚は干し貝の加工場跡の可能性があるという考え方はあったが、塩分濃縮説は初めて。日本では3千〜4千年前の縄文時代後期になると、火を通しやすい薄い製塩土器が登場し、海水を煮詰める製塩技術が広がったとされる。(土居新平)



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