2009年6月24日水曜日

asahi shohyo 書評

サンチョ・キホーテの旅 [著]西部邁

[掲載]2009年6月14日

  • [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

■「白と黒」が彩る思想家の孤独

  著者と私は、昭和二十七年と二十八年の二年間、札幌市郊外から市内の中学に列車で通った。著者が学年は一年上であったが、往(い)き帰りに会話を交わし、 時間と風景は共有していた。汽車通学は共同体の「喪失者」になることであり、後年、著者が「異邦人(エトランジェ)であるだけでなく変な奴(ストレン ジ)」と自称するように、私もまたその芽をかかえこんだ。

 セピア色の記憶に色をつけて記録化する、つまりキャンバスに少年期から青年期への自画像を描き出す。それが本書である。その色づけに著者の知的営為を確かめることができるが、繊細な感性が著者独自の文体により、経済学者、思想家としての出発点を浮かび上がらせる。

 月並みな表現で、一知識人の少年期の思い出とその時代が描かれている書などといわれかねないが、むろんそうではない。本書の本 質は、「私の色彩にかんする意識は強いほうだと思う」の一節にあり、北海道の冬場を過ごした者がもつ「白(雪原)と黒(常緑の針葉樹林)」の光景にまつら う「孤独」の感覚や心象を実感するところにある。セピア色の記憶は、「白と黒」の色づけになってしまうと含羞(がんしゅう)をこめて告白している。

 著者と共に見た光景、たとえば札幌駅の女性放浪者ムッチャン、中学のヒステリー気味の女性音楽教師、著者の目はすでに中学生に して「存在の本質」に迫っていたことに驚かされる。当時、内向的傾向があった私は、著者の社会的、人間的な発言に数多くふれたが、今本書の頁(ページ)を 止めて「そうか、あのころ西部さんはこんなことを考えていたのか」とうなずき、そしてときに涙するのである。

 老いてからのある日、たまたま盃(さかずき)を干したことがある。教養小説を書くべきだと私は説いた。本書の文体にふれながら その思いはなおのこと強くなる。著者は、「あとがき(読者へ付言)」で誰もが自らの体験を「ためつすがめつ解釈」せられたしと照れ気味に勧めている。これ が答えなのかもしれない。

 著者の心底にある「孤独」を理解する者もまた「孤独」なのである。

    ◇

 にしべ・すすむ 39年生まれ。思想家、経済学者。『アメリカの大罪』など。

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サンチョ・キホーテの旅

著者:西部 邁

出版社:新潮社   価格:¥ 1,680

表紙画像

アメリカの大罪 (小学館文庫)

著者:西部 邁

出版社:小学館   価格:¥ 500

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