2009年6月10日水曜日

asahi shohyo 書評

作家とその亡霊たち [著]エルネスト・サバト

[掲載]2009年6月7日

  • [評者]奥泉光(作家、近畿大学教授)

■小説考えるヒント 連なる140編

  著者のエルネスト・サバトは、訳者の紹介によれば、一九一一年生まれの、アルゼンチンの作家、評論家であり、百歳になろうとする現在までに発表した小説が 僅(わず)か三作、評論集もそう数は多くなく、つまりきわめて寡作でありながら、二十世紀なかば、文学界に流星群のように出現して一大ブームを引き起こし たラテンアメリカ文学者の一人として、高い評価を受けてきた書き手だという。

 本書は、大学で量子論等を講じながら作家としてのキャリアを開始して以来、幅広い分野にわたる評論をものしてきたサバトが、文 学、とりわけ小説に焦点を絞って書いたエッセー集である。全体は短い警句(アフォリズム)を含む140の断章から構成される。こうした形の書物は、読者の 思考を多方向へ導く力を持つ一方で、書き手の思索の切れ味と、言葉へのセンスを強く要求する。その点、ソクラテスから実存主義、構造主義にいたる哲学思想 の幅広い理解と、西洋文学への洞察の両軸に支えを得ながら、本書は魅力あふれるテクストとして成立している。

 著者が掛け値なく高い評価を下す作家は、カフカであり、ドストエフスキーであり、ジョイスであり、フォークナーであるが、これ は自然主義リアリズムの支配から脱して、小説ジャンルの「雑種性」に着目した二十世紀文学の動向に合致するもので、とくに目新しさはない。けれども、その 「雑種性」が人間存在の探求にとって必然であると論じ、小説を硬直したイデオロギーや手法から解放しようとする態度の徹底ぶりは、いまなお自然主義のスタ イルに無自覚なまま安住しがちな日本語小説にとっても批評的だ。読者は小説について考えるためのヒントを数多くここに見出(みいだ)すだろう。

 それにしても、「現代小説の中心課題は人間の探求」に他ならないと、堂々宣言する著者の姿勢には、大いに頷(うなず)かされな がら、小説が商品として流通し、消費されねばならぬという条件が、いよいよあからさまになりつつある二十一世紀に生きる一作家としては、深く溜息(ためい き)をつかざるをえない。

    ◇

 寺尾隆吉訳/Ernesto Sabato 小説に『トンネル』『英雄たちと墓』など。

表紙画像

作家とその亡霊たち

著者:エルネスト サバト

出版社:現代企画室   価格:¥ 2,625

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