2009年6月11日木曜日

asahi culture literature local Seicho Matsumoto kokuranikki Kokura

清張青春の洋食店…直筆の広告原稿発見 福岡・小倉

2009年6月11日18時30分

印刷印刷用画面を開く

ソーシャルブックマーク このエントリをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:松本清張松本清張

写真:松本清張がなじみの店に贈った色紙や手紙など=藤脇正真撮影松本清張がなじみの店に贈った色紙や手紙など=藤脇正真撮影

写真:松本清張がなじみの店に贈った色紙松本清張がなじみの店に贈った色紙

写真:松本清張がなじみの店に贈った原稿拡大松本清張がなじみの店に贈った原稿

写真:76年10月14日付の夕刊に掲載された広告拡大76年10月14日付の夕刊に掲載された広告

 25年前は小倉での私の青春時代であった——。作家・松本清張(1909〜92)が1970年代半ばに筆を執った新聞広告の草稿や、ダルマの絵をあし らった色紙が、北九州市内で見つかった。朝日新聞西部本社勤務時代から晩年まで清張と懇意にしていた洋食店が、新聞広告として依頼したものだという。文面 からは、清張が抱いていた店や小倉の町への愛着がうかがえる。

 洋食店は52年、現在の同市小倉北区魚町の食堂街に開店した「ボントン」(93年に閉店)。清張が「或(あ)る『小倉日記』伝」を発表し、大作家としての道を歩み始めたころの一時期、通い詰めた店だ。

 広告原稿や色紙は昨年夏、店主だった平野徳造さん(故人)の長女千鶴子さん(63)の自宅マンションの押し入れで見つかった。昨年2月に母義子さんが亡くなったため遺品を整理していたところ、清張からの手紙や清張の死亡記事などと一緒にファイルにとじられていたという。

 「ボントンが創業して二十五年目になる。二十五年前は、小倉でのわたしの『青春時代』であった」と書き出し、「魚町の横丁がまだ終戦後の混乱を残しているときで……」と振り返る。

 いつも1人で奥のテーブルに座り、ステーキを注文していたという清張は、「かっぷくのいい主人が脂の煙を上げて快活に振舞(ふるま)う。うつくしい奥さんが隅にほほえんで立っている」と店の様子を紹介した。

 千鶴子さんによると、76年に開店25年目を記念して出した広告の元原稿だという。徳造さんを亡くし、1人で店を切り盛りしていた義子さんが思い立ち、東京の清張宅を訪ねて依頼した。紹介文はほぼ原文のまま、10月14日夕刊に掲載された。

 開店翌年の53年に清張は東京に異動しており、千鶴子さんには清張が店に来ていた記憶はない。ただ、義子さんはよく、清張が年賀状や暑中見舞いを律義によこしてくれること、上京した際に銀座の高級すし店に招待してくれた時のことなどをうれしそうに話していたという。

 千鶴子さんは「1人で頑張っていた母を応援してくれたのでしょうね。大作家の清張さんが店を大切に思ってくれていたことがうかがえて、何よりうれしいです」と言う。(小田健司)




0 件のコメント: