2009年6月24日水曜日

asahi shohyo 書評

数学者のアタマの中 [著]D・ルエール

[掲載]2009年6月21日

  • [評者]高村薫(作家)

■単純さ複雑さが奏でる美の旋律

  数学者でない人間が数学の世界を覗(のぞ)き込みたい衝動に駆られるのは、たとえばルート2にふと見入るときではないだろうか。一辺が1の正方形の対角線 がこれであることは、ピタゴラスの定理で簡単に分かるものの、このルート2が無理数であることの証明は、そんなに容易ではない。

 またたとえば、素数が無限にあることは、誰でも直感的に分かるが、数学的には、無限を定義して初めて素数が無限にあるという言 明が意味をもつ。そこで、数学では無限集合なるものを考えるが、たとえば5と7、11と13、17と19のように差が2になる双子の素数はどうだろう。素 数が無限にあるなら、双子の素数の組も無限にあるという想像はできるが、その証明はまだ出来ていないのだ。このように、理に適ってはいても、証明が出来る とは限らないのが数学の世界である。だから、人はひたすら証明を求めて数学をする。

 幾何学も数論も、現実の図形や数を越えて「可能なすべて」を考えるという人間の抽象的思考の欲望である。可能なすべての図形、すべての数を対象とするのであれば、私たちの苦手なa、b、x、yといった記号による記述も納得がゆく。

 また、人間は次々に便利な方法を考えだすもので、曲線上の点Pを座標軸の(x,y)に置き換えて数値化することを思いついたと き、二次元は一気に多次元に広がった。またその過程で、あるとき複素数を使えば演算が簡単になることが発見されると、今度はその複素数を含む代数幾何学の 多項方程式と、整数解を求める数論の多項方程式を一つに出来ないかと閃(ひらめ)き、そのための関数を思いついたりするのである。

 関数とは、構造と構造の関係性の概念である。演算のような形式的な操作に、こうして概念の操作が加わったとき、数学は内部構造 の構築へ踏み出し、数学の世界を包括する集合論へと発展してゆくことになる。そして、その発展が新たなパラドックスや証明困難な定理を次々に生みだしてゆ くのだが、数学者はめげない。一つの概念がさらに新たな概念を生み、新たな結果を生んで内部構造が更新されてゆく営みこそ、数学のリアリティだからであ る。

 数学の営みとは、まさに「こうでしかありえない」完璧(かんぺき)な論理だけで出来ているが、その厳密な構築物がもつ途方もな い単純さと複雑さこそ数学の美だと著者は言う。また、人間が数学をすることの喜びを伝えたいと願う著者は、こうも言う。楽譜が読めなくとも旋律は聞こえる だろう、と。この言葉に嘘(うそ)はない。

 たとえば、こんな旋律はいかがだろう。空集合Φがある。そのΦを含む集合{Φ}がある。さらに、Φと{Φ}を含む集合{Φ, {Φ}}がある。そしてさらに{Φ,{Φ},{{Φ}}}……。こうして並べてゆくと、なんのことはない。0、1、2、3……という自然数が表せるのであ る。これぞ数学のアタマ!

 さあ仕事を忘れて、しばし数学への小旅行をどうぞ。

    ◇

 冨永星訳/David Ruelle 1935年ベルギー生まれ。数学者、数理物理学者。米プリンストン高等学術研究所を経て、現在はフランス高等科学研究所(IHES)名誉教授。邦訳書に『偶然とカオス』がある。

表紙画像

数学者のアタマの中

著者:D. ルエール

出版社:岩波書店   価格:¥ 2,310

表紙画像

偶然とカオス

著者:D. ルエール

出版社:岩波書店   価格:¥ 2,447

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