2009年6月26日金曜日

asahi okuyami おくやみ Michael Jackson

超人的ダンスに魅せられて マイケルの死、悼む声

2009年6月26日17時21分

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 華麗なムーンウオークを誰もがまねた時代があった。80、90年代のヒットチャートを席巻し、「ポップの帝王」と称されたマイケル・ジャクソンさんが 50歳で急死した。近年はスキャンダルにまみれたが、透き通った歌声と超人的なダンスに魅了された人たちは、その死を悼んだ。

 「まさか、と胸が締めつけられる思いだった」

 26日午前6時半すぎ。東京のFM局「J—WAVE」で生放送でDJを務めていたジョン・カビラさん(50)に「ジャクソンさんが病院に搬送された」と一報が入った。

 刻々と入る最新情報をリアルタイムでリスナーに伝え、ジャクソンさんが生んだヒット曲の数々を夏空の東京に向けて次々と流した。

 カビラさんはジャクソンさんと同い年。子どもの頃からその歌声を聞いてきた。番組終了後、「日本に洋楽の豊かな文化を教えてくれた。これ以上ないエンターテイナーだった」と語った。

 「スリラー」のゾンビとのダンスや月面を滑るようなムーンウオークは若者がまねをするなど、日本でも大きな影響を与えた。芸能界でも東山紀之さん、安室奈美恵さんら多くの信奉者を生み、ジャクソンさんの登場後はダンスの質が変わったといわれる。

 シンセサイザー音楽の世界的な作曲家の冨田勲さん(77)は、大学での授業中に悲報に接した。「あまりの驚きで言葉も出ない」

 87年、都内の自宅マンションをジャクソンさんが突然訪れた。シンセサイザーのある部屋に案内すると、目の輝きが変わった。自ら演奏して見せ、「トミタの音はこうだろ?」。テレビゲームにも興味を示し、冨田さんの孫たちと「スーパーマリオブラザーズ」を楽しんだ。

 「20世紀後半から21世紀初めにかけての偉大なミュージシャン。本当に残念だ」

 ジャクソンさんは87年以降、たびたび来日公演を行い、後楽園球場や大阪球場、福岡ドームなど大会場を沸かせた。日本のアニメやおもちゃのファンでもあった。

 来日すると東京・永田町にあったキャピトル東急ホテルを定宿にしていた。副総支配人として担当した太田範義・パンパシフィック横浜ベイホテル東急総支配 人(61)は部屋のテーブルを取っ払って毎晩ダンスの練習をしていたのを思い出す。掃除に入ったスタッフは「汗で床に水たまりができていた」と驚いた。

 決まったものしか食べないということで、専属のシェフを連れてきた。「ずっと部屋に引きこもって、かわいそうな面もあった」と同情する。

 最近は醜聞が目立った。07年の日本でのファン感謝イベントに行ったTVプロデューサーのデーブ・スペクターさんは「ロンドンでの復活のタイミン グだっただけに、ショックだ」と死を悼みつつ、「奇妙な行動が多く、後年のスキャンダルは自分でまいた種ともいえる。幸せにはなれなかった」と話した。





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