マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 姜尚中(下)
[掲載]2008年7月6日
■なぜ生まれ働くのか 度肝を抜かれた説明
自分はなぜ生まれ、なぜこんな人間なのか。学生時代、僕はその意味を求めて鬱勃(うつぼつ)とした思いでいた。やけを起こして泥酔し、路上で寝転がったりもした。
生きることや働くことへの僕の「意味問題」に、答えを示すのではないかとこの本を手に取った。難解な本だが、それでも読了できたのは、20世紀最大のこの社会科学者が「意味」をめぐる問題を宗教の観点から解き明かし、資本主義の起源との関連性から論じていたためだった。
とりわけカルヴァン派の「予定説」を用いた資本主義論には度肝を抜かれた。救われる人間と救われない人間とは神によって選別されているという、憂鬱な神学的教義を持ち出して、何を説明しようというのか。そこに強く惹(ひ)かれた。
救われないと決められているなら人間、ヤケを起こすのが当然だ。だがウェーバーは実に逆説的な「行動主義」を唱えている。ゆえ に人間は営利活動に励むのであると。しかも営利活動とは、神の意思に従った労働への専念、つまり「金儲(もう)け」というのである。信仰という内なる支え から労働に徹することで、人は意味の問いかけから解放される。この「行動主義」への憧(あこが)れから、僕の「意味問題」への回路は閉ざされた。
だが資本主義の英雄的な時代は、この本が書かれた20世紀初頭で終焉(しゅうえん)を迎えていた。信仰が薄れ、資本主義を内側 から駆動する精神が弱体化すると、営利追求が自己目的化した。金儲けのための金儲けをする輩(やから)たちをウェーバーは「精神のない専門人、心情のない 享楽人」と批判し、将来を悲観した。
ウェーバーが予見した社会をいま我々が生きている。金儲けのための金儲けと、跋扈(ばっこ)する精神のない専門人、そしてその 影響としての格差や貧困。僕の近著『悩む力』でもふれたことだが、ウェーバーが唱えた「非人間性」の極致こそ、我々がいま直面している問題なのであ る。(東大大学院教授)
◇
1905年に発表され、和訳は55年と62年、岩波文庫から上下巻で出版。岩波文庫などで刊行中。
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