2008年7月17日木曜日

asahi shohyo 書評

夏目漱石『こころ』 姜尚中(上)

[掲載]2008年6月29日

■人を信じるとは何か 鋭く深く問うてくる

 夏目漱石は僕にとって一番身近な作家であり、この一冊を選ぶなら、迷うことなく『こころ』をあげる。

 最初に読んだのは17歳の時だった。厭世(えんせい)的で孤独な僕の胸に「先生」の言葉がグサリときた。「自由と独立と己(おの)れとに充(み)ちた現代に生(うま)れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋(さび)しみを味わわなくてはならない」

 しかし作品の真の深みを理解し始めたのは20代も終わりの頃である。大学、そして大学院時代を「自分は何者であるか」と葛藤 (かっとう)して過ごし、その苦しみから半ば逃げ出すようにドイツへと留学した。冬のドイツの陰鬱(いんうつ)な日々の中で読み返した『こころ』は心に染 みた。

 恐らく僕は人生の師を渇望していたのだろう。両親とは違った意味での人生の師を、「私」にとっての「先生」に投影した。有り余 る知性と教養を持ちながら、市井の片隅で生きる男が「私」によって「先生」と呼びなおされる。真の師弟以上にピュアなその関係性に、心底あこがれた。

 この小説が鋭く深く我々に問いかけてくるものは、エゴイズムの問題である。「人は一体、何を信じることができるのか」、そして 「信じるということはどういうことか」。裏切られて人が信じられなくなった「先生」自身が友を裏切り、死へと追いやり、その罪の意識は「先生」の自己破壊 へとつながる。人間誰しもひと皮むけば欲とエゴイズムが顔をのぞかせる。自分をも含めて人を信じるということが、これほどまでに深い人間の内面世界の問題 として描かれた小説を、ほかに知らない。

 そして50歳を過ぎてからは、漱石の書く夫婦の形を、かみ締めるように読んでいる。『こころ』をはじめ、年月とともに関係性を 変え、凡庸に暮らす夫婦が繰り返し書かれるが、凡庸さの中にも灰の中の残り火のような、穏やかな輝きが必ずある。漱石を読むと、そういうものも大切にした いと改めて思うのだ。(東大大学院教授)

    ◇

 14年、朝日新聞で連載。同年、岩波書店から刊行された。岩波文庫などで刊行中。

表紙画像

こころ (岩波文庫)

著者:夏目 漱石

出版社:岩波書店   価格:¥ 483

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