2008年7月2日水曜日

asahi shohyo 書評

イスラームから考える [著]師岡カリーマ・エルサムニー

[掲載]2008年6月29日

  • [評者]小杉泰(京都大学教授)

■二つの文化をしなやかに生きる

 これはイスラームについての本ではない。アラブ・イスラームと日本という二つの文化に属する著者が、国際的な文化摩擦と相互理解について考えたエッセー集である。

 9・11事件以降、世界中でイスラームに対して警戒心を持つ人が増えた。エジプト人の父を持つ著者が「半分は日本人です」と言うと、「残り半分は?」といつも聞かれる。聞かれた彼女は、アラブやイスラームについての説明役を引き受けざるをえない。

 その役は非常にむずかしいが、本書で著者は、しなやかな心とウイットに富んだ文体で、それをこなしている。説明のロジックはと てもわかりやすく、女性としての視点もプラスに働いている。テレビのアラビア語講座の講師を務め、西洋音楽やポピュラー文化が大好きな上、アラブの古典文 学や現代詩にも通じているから、トピックも実に豊かである。

 ヨーロッパでの体験談もあれば、アラブ系米国人のコメディアンの生きざまも登場する。女性のベールの意味が解かれる一方、イスラームは男女平等の教えなのに、アラブ社会は千四百年たってもまだそれが吸収できていない、という辛口の指摘もある。

 特に、現代のアラブ詩が紹介されている部分は、魅力的である。占領下に生きる詩人が、「愛について二〇行書いた/するとこの包囲が/二〇メートル後退したような気がした」と、憎しみではなく愛を謳(うた)う姿が印象に残る。

 著者はアラビア語と日本語のバイリンガルなので、翻訳は簡単だと思うと、そうではないらしい。バイリンガルにとって二つの母語 は別々のタンスのようなものという。言葉の引き出しは別々のタンスについているため、両方を往復する翻訳は労力を要する上、どちらも母語なので、できあが りの水準に非常にこだわってしまう。

 バイリンガルでも、著者のように、日本語とアラビア語という二つの難解な言語で著述できるケースは珍しい。日本でも国際化が進み、多文化共生が大きな課題となっている現在、二つの文化を生きる存在は貴重である。

    ◇

 もろおか・カリーマ・エルサムニー 70年生まれ。ラジオアナウンサー、慶応大講師。

表紙画像

イスラームから考える

著者:師岡 カリーマ・エルサムニー

出版社:白水社   価格:¥ 2,100

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