2008年7月16日水曜日

asahi shohyo 書評

ウィキペディアで何が起こっているのか [著]山本まさき、古田雄介/情報化時代のプライバシー研究 [著]青柳武彦

[掲載]2008年7月13日

  • [評者]小杉泰(京都大学教授・現代イスラーム世界論)

■悪意ある書き手を防げぬ危険を指摘

 ウィキペディアは、インターネット上でユーザーが参加して作る百科事典である。最近は、単語をインターネット検索にかけると、ウィキペディア項目が最上位に来ることも珍しくない。ある調査によれば、その内容が信用できると思う人は6割に上るという。

 ところが、その実態はかなり危うい、というのが、日本で初めてウィキペディアを正面から論じた『ウィキペディアで何が起こって いるのか』の結論である。実際のところ、項目が玉石混淆(こんこう)の上、管理者さえ「疑ってかかったほうがいいです」と述べている。それは、制作の構造 に起因する。誰でも参加でき、衆知を集める仕組みは、民主的でよさそうに見えるが、無責任体制になっている。

 項目は、まず最初に誰かが書いて始まる。誰もが匿名である。内容は、間違いだらけの場合も、専門家による高度な記述の場合もあ る。間違いがあれば、それを皆で修正して精度を高めよう、という考え方に立脚している。実際には、立派な記述をダメな方に修正する人もいるし、直されても 直されても、偏った自説を書き込む人もいる。

 ところが、匿名性と民主制のため、悪意ある書き手を止める手段が限られている。管理者と言ってもユーザーのボランティアに過ぎ ないからである。ウィキペディアは英語版、日本語版など言語ごとに存在するが、日本語版の場合は単なるユーザーグループで、組織でも法人でもないというか ら驚かされる。人名項目で中傷や不正確な内容が書き込まれても、法律上の責任は負わないのである。

 著者は、ウィキペディアのような「ソーシャルメディア」はもともと個人の書き手の集合なので、責任あるメディアに成長しなけれ ば、まもなく法的な規制が必要になると予測している。このように、インターネットの上では、百科事典と称してのプライバシー侵害もおきうる。そんな時代の プライバシーについて、きちんとした社会的認識を確立し、法整備をおこなう必要があると論じているのが『情報化時代のプライバシー研究』である。

 プライバシー権は自然権ではなく、現代の高度な文明社会で新たに作られた人権であり、基本的人権と比べると贅沢(ぜいたく)品である。だからこそ大事にしようという。

 しかし、プライバシーの過大な解釈に対しては、著者は異議を唱える。個人識別情報は本来社会的に共有されるものであり、秘匿す べき対象ではない。たとえば氏名・住所を隠すのでは、郵便も届かなくなる。その一方、現行法では、個人情報を悪用や名誉毀損(きそん)から十分守ることは できない。能動的な保護が必要である、と著者は主張する。

 高度な情報化社会の中で、その利便を享受するためには、互いに共有すべき個人情報と法的に守るべき情報を厳密に線引きすべき時 が来ている。本書は、関連する裁判の判例や法的な議論も豊富に紹介しているが、複雑な内容を平明に説く記述は説得的である。知ってもらう権利と知られない 権利のバランスを訴える提言は、ネット化された社会の将来像を考える上で大いに参考になるであろう。

    ◇

 『ウィキペディア』/やまもと・まさき、ふるた・ゆうすけ▽『情報化時代』/あおやぎ・たけひこ

表紙画像

情報化時代のプライバシー研究

著者:青柳 武彦

出版社:エヌティティ出版   価格:¥ 3,990

0 件のコメント: