岩国の「光る石」見守り40年 ヤマ去る最後の鉱山長
国内最後のタングステン鉱山となった山口県岩国市の喜和田鉱山で、40年にわたって鉱山長を務め、92年の休山後も資料館の運営を任されてきた長原正治さん(81)が、8月いっぱいでヤマを去る。「地中の天の川」と評された坑内の再現展示も見納めとなる。
「光る石鉱石資料館」は岩国市中心部から車で30分の山中にある。作業員宿舎を改装した館内は100平方メートルほど。小さな暗室で蛍光灯を消すと、壁に張られたタングステンのパネルが幻想的な青白い光を放つ。紫外線を受けて発光するのだという。
「坑内はすごかった。『地中は青かった』『地中の天の川』と表現した人もいた」と長原さんは振り返る。
希少金属の一種であるタングステンは熱に強く、電球のフィラメントや金属の加工工具などに使われる。
長原さんは51年に京大鉱山学科を卒業し、大阪市の鉱山会社に就職。68年に喜和田鉱山の鉱山長となった。最大の仕事は鉱脈を発見することで、地面に電圧をかけたり坑内をボーリングしたりして掘り進める方向を決める。
「最後は経験と勘。ピタリと当たったら、そりゃうれしいよ」。喜和田で第3〜12までの10の鉱体を見つけ、「まるで神様」と感嘆された。
鉱石のタングステン含有率は通常1%程度だが、喜和田産は8〜10%もあった。70年代には盛況を呈したが、安価な中国産が現れて徐々に低迷。92年、採掘中止に追い込まれた。
翌年、長原さんは鉱山長の肩書のまま資料館を開いた。搬出しきれなかった鉱石が残っており、いずれ運び出したいという思いもあった。15年間で来館者は1万6千人。ただし再訪者は入館無料にしたので、リピーターを含む延べ人数は分からない。
今も多い週は50人の来館者があり、月に1回、必ず石を眺めに来る人もいる。
昨年、鉱石をすべて搬出して売却し、ヤマは役目を終えた。この40年間、京都府内の自宅と喜和田を往復し続けてきた長原さんも80歳を超え、「元気なうちに整理した方が良い」と閉館を決めた。
名残を惜しむ住民の提案で鉱山近くに記念碑が建てられることになった。住民の勧めもあって、銅山として始まった江戸時代以来の歴史を刻む約350字の碑文は長原さんが書いた。(川村剛志)
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