幕末から明治初期にかけて、玉名に二年間だけ存在した「高瀬藩」の藩主細川利永(一八二九〜一九一〇)の肖像写真がこのほど見つかった。玉名市岩崎の市 立歴史博物館こころピアが十年来探し続けていた写真で、二十四日に始まる「古写真にみる明治・大正・昭和」展で公開される。六月十四日まで。 発見されたのは、烏帽子直垂(えぼしひたたれ)姿の肖像写真(縦約十六センチ横約十一センチ)一枚。包んであった紙には「明治十三年三月印刷局において写す」との記述があり、本人直筆の年譜の内容とも合致することから、利永の五十一歳の時の写真とみられる。 東京の古書展目録に入っていると情報が寄せられ、ほかの人物写真と合わせて計八十枚を八万円で購入した。元々は石州(島根)の松平家が所蔵していたという。 高瀬藩は一八六八(慶応四)年七月、肥後藩の江戸の支藩「肥後新田藩」が維新の動乱で肥後へ下向した際に誕生した。利永は同藩の十代藩主で、高瀬藩初代藩主。 廃藩置県前年の一八七○(明治三)年九月、熊本藩が高瀬、宇土の両藩を統合したことで、高瀬藩は藩邸の完成を待たずに短い歴史の幕を閉じた。玉名市には、当時の藩士宅などが残っている。 利永は写真好きと伝えられ、同博物館が一九九八(平成十)年に開いた「高瀬藩展」の際に肖像写真や本人が撮影した写真などを探したが、見つけることができず、その後も探していた。 同館職員の村上晶子さん(52)は「写真は玉名市民にとって身近な高瀬藩の藩主がどういう人物だったか、知るきっかけになる。なぜ松平家が所蔵していたのかは今後の研究課題」と話している。(内海正樹) |
0 件のコメント:
コメントを投稿