2008年5月31日土曜日

asahi art history Horyuji temple Shotoku Taishi

法隆寺金堂の天蓋に再建前の古材 聖徳太子を追慕か

2008年05月30日15時00分

 世界最古の木造建築、法隆寺(奈良県斑鳩町)の国宝・金堂内にある装飾の天蓋(てんがい)(国重要文化財)に、606年ごろ伐採された木材が使われてい たことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。法隆寺は聖徳太子(574〜622)が607年に創建したが、670年に焼失し、7世紀後半から8世紀初め ごろ再建したとされる。本尊を安置する中枢部の金堂で、創建時期の古材が半世紀以上経た後に使われていた。法隆寺再建をめぐっては謎の部分が多く、建立過 程を知る上で貴重な資料となりそうだ。

写真

606年ごろ伐採の木材が使われていた法隆寺金堂の中の間天蓋。釈迦三尊像の頭上につり下げられている

 同研究所の光谷拓実・客員研究員(年輪年代学)が調査した。

 天蓋はカーテンを模した木製の荘厳(しょうごん)具で、仏像の頭上にかざす。金堂内の「中の間」「西の間」「東の間」に3基あり、それぞれ幅約2.4メートル、奥行き約2.1メートル、高さ0.8メートル以上。

 聖徳太子をモデルに造られたとされる釈迦三尊像(623年)がある「中の間」と、阿弥陀如来像(1232年)がある「西の間」の天蓋を修理した際、06年12月と翌年1月に年輪年代法で測定した。「東の間」の天蓋は鎌倉時代作のため除外した。

 「中の間」天蓋の部材のうち最も新しい年輪年は654年、「西の間」天蓋は663年。元は同じとみられる木材が両方に使われていることから、天蓋 2基の制作は663年から数年後と判断した。ところが、「中の間」天蓋の部材のうち、天井板の部分に使われていた木材1枚が606年前後の伐採とわかっ た。

 光谷客員研究員は「聖徳太子を追慕する思いの表れとして、古材を用いたとも考えられる」と指摘している。(編集委員・小滝ちひろ)

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 〈法隆寺再建・非再建論争〉 670年に法隆寺が焼けたと記す日本書紀をもとに、創建法隆寺(若草伽藍=がらん)の焼失後に現在の伽藍が北西約 200メートルに再建されたと考えるのが再建論。これに対し金堂の建築様式の古さなどから、現在の伽藍は7世紀初頭の創建時のままとするのが非再建論。 1939年に若草伽藍の金堂と塔の跡が見つかり再建論が主流となった。




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