2008年5月27日火曜日

asahi shohyo 書評

大いなる看取り—山谷のホスピスで生きる人びと [著]中村智志

[掲載]2008年05月25日
[評者]久田恵(ノンフィクション作家)

■最後の安らぎに波乱の人生も蘇る

 耳を傾けて聞く人がいて、はじめて語られる人生というものがある。

 そこは東京都台東区。かつてのドヤ街、山谷(さんや)の真ん中に02年秋に開設された「きぼうのいえ」でのこと。

 人生の終末期を迎えた三十人前後の入居者とスタッフ二十数人、看取(みと)られるものと看取るものが、共にいまを懸命に生きている現場である。

 著者は、この「きぼうのいえ」に通いつめ、この場にかかわる人たちが、さまざまに歩んできた人生を丁寧に、誠実に、聞き取っていく。

 息子夫婦との確執から家を出た元ホームレスの女性、シベリア抑留体験者、肺がん末期の元料理人、元やくざ、七三一部隊所属の過去を抱えたまま生き続けた人……。

 いずれも変転する人生を送り、社会から零(こぼ)れ落ち、路上生活の果てに、あるいは病気で余命宣告を受け、福祉事務所経由で「きぼうのいえ」にたどりついてきた人たちである。多くは、故郷を遠く離れ、家族との絆(きずな)も切れている。

 けれど、山谷のホスピスと呼ばれるこの場で、人の温かさに触れ、安心を得るのである。

 そこは、施設を開設した山本雅基、美恵夫妻が「最後に与えられた時間に、それぞれの人がその人らしく生き直す『座』を獲得するお手伝い」という哲学を持って、運営している場所なのである。

 この格差社会の最底辺の場に、お金で買うことのできない志を持った看取りの場が生まれていることに、まずは感慨を覚えずにいられない。

 そして、思う。

 渦中にあった時は、どんなにかつらかったであろう人生も、最後に「安らぎ」を得れば、波瀾(はらん)万丈の武勇伝となる。聞く人を得て、過去の記憶はいきいきと蘇(よみがえ)る。

 本書の著者には、路上生活者の人生を聞き取った『段ボールハウスで見る夢』という作品もあるが、記録しなければ、消え去ってしまう無名の人の人生を、落ち穂拾いのように書き綴(つづ)っていく手法に、打たれる。

 それはノンフィクションの書き手のひとつの使命でもあるにちがいない。

    ◇

 なかむら・さとし 64年生まれ。週刊朝日編集部員。『新宿ホームレスの歌』など。


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