2008年5月27日火曜日

asahi shohyo 書評

都市計画の世界史 [著]日端康雄

[掲載]2008年05月18日
[評者]尾関章(本社論説委員)

■街の姿に見える思想や権力の強弱

 ギリシャとローマ。パリとロンドン。比べてみたらおもしろい。そんな楽しみ方がこの本にもある。

 古代ギリシャの都市は、もともと「不規則な小径(こみち)でできた迷路」の街だったが、持ち前の幾何学を生かした碁盤目の街割りが現れる。設計の立役者はヒッポダモス。建物や広場からなる「街区」を並べていく格子模様だった。

 一方、ローマ時代は「互いに直交している道路のパターンが第一の必要条件」で、街区は二の次になったという。

 同じ碁盤目でも、浮かび上がる図柄が反転する。街づくりの思想の違いだろうか。

 欧州では17世紀ごろから、古代以来の歴史を刻む街が大胆に塗りかえられていく。「バロック都市」の登場だ。「はじめて意識的な都市計画が行われ」たのである。

 象徴はパリの大通りだ。「長いヴィスタ」(見通しのよさ)に強い意志が感じられる。それをかなえたのは国王や皇帝の権力だった。

 ロンドンでも17世紀の大火後、シティー界隈(かいわい)にヴィスタをもたらす再開発構想がもちあがるが、抵抗に遭ってほとんど挫折した。君主制のもとで緩やかに市民社会を醸成した英国の歴史が、曲がりくねったロンドンの街並みに映し出されているようだ。

 歴史として楽しく読めるのはそのくらいまで。産業革命以降、社会のひずみと向き合う街づくりの動きが強まる。

 英国の田園都市運動は世界に広まるが、多くは「田園都市というより田園郊外」だった。自立にほど遠い、大都市の衛星である。裏を返せば、大都市の苦悩を和らげるには郊外という白いキャンバスに理想郷の絵を描くしかなかったともいえるだろう。

 今日につながる話では、街の質を守り、高めるための法制度や大都市の成長を制御する政策などが語られる。

 だが、すでにキャンバスが塗り込められた大都市の再生は至難の業だ。たとえば街なかの廃校跡など、ミクロの余白を変えていく。その結果、いつのまにかマクロが一変している。そんな息長い街づくりができればよいのだが。

 本を閉じて、そう思った。

    ◇

 ひばた・やすお 43年生まれ。慶応大学名誉教授(都市計画)。

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